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健康百話

2012-09-07
長廻雑記帖(50)雑記帳50回
長廻 紘
 この欄に書き始めてから50回になりました。読者の皆様の励ましによるものとこの場を借りて感謝いたします。書くということは、結局、なにを書いても自分のことを考えるということだと気付きました。普通わたしたちは自分のことは知っているつもりでいます。だが、知ると分かるは違うようです。たとえば、「彼女のことは知っているのだけれどもよくは分からない」というのは世の多くの男の嘆きのようですし、彼女を彼に代えれば女の嘆きでしょう。

 知ると分かるの間に「考える」という手順が必要であり、そんな面倒なことはしないので、知っているつもりの自分のことが本当は分かっていないのです。しかし、分かってどうなるかというと困ったことになります。知らぬが仏で能天気にやってきたものが、知ったばかりにとんでもないことになります。考えれば考えるほど自分の「あほさ加減」が分かってしまうからです。漠然と「俺は偉い」と、一人でいる時にこにこしているあなた。それは間違いです。単に自分のことがよく分かっていないだけのことにすぎません。阿呆と気づくことがすなわち考えたということです。雑記帳を書き続けることによってわたしはだんだん別の人間になるような気がします。

 自分のことを考えることは、結局人間は何を目的に生きているか(人間存在の内的目標)を考えることのようです。古代ギリシャ人は可能な限り神に似たものになろうとキリスト教徒は理想的な存在すなわち神になる、仏教徒は仏になろうと努力しました。平安時代の貴族はどうして異性に気に入られるか日夜こころを砕いた。ハムレットは「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と悩んだ。昭和初期の軍人さんたちは、どうしたら中国を征服できるか考えました。

 現代人は、何をするために居るのか何のために生きているかサッパリわからなくなってしまって、せいぜい身の回りの細々としたことに悩むといえば悩んでいる、悩んでいる振りをしている。科学が進んで多くのことが解明され、この世に秘密めいたものが無くなってしまい、それは生の意義を奪っています。神もいない悪魔もいない謎らしい謎もない。癌が生活習慣病と分かり、日本人がアホとわかり、何もかも分かってくると悩むだけまったく損ということになってきます。ただ生まれて死ぬだけ。

 さて、このどこに大きな間違いが潜んでいるかお分かりでしょうか。わたしたちの心は宇宙よりも広く大きいのです。そのことがよく理解できれば毎日を楽しくしたければ楽しく、考えたければ考えることができます。寝たければねる、酒が飲みたければ飲む、死にたければ死ぬことだってできます。

 心をよく見つめ、決してつまらない考えをおこしてはいけません。
 
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