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健康百話

2012-12-10
長廻雑記帖(56)贈り物
長廻 紘
 ずいぶん昔のことであるが、よくつるんで遊んでいた先輩からネクタイを頂いたことがある。気に入ったので喜んでいたら、そのうちに「長廻は失礼な奴だ」とその輩が言っているという噂が耳に入るようになった。要するにそれ相応のお返しをしないということのようであった。つまらないことで騒ぎをおこす水臭い奴だ、とこちらも相手にしなくなって、すっかり疎遠になってしまった。だが、非はわたしにある。物にかぎらず人から行為を寄せられたらそれ相応の反応がないと人は不愉快になるものである。 肝心なのは物質的精神的を問わず、寄せられた行為には必ずお返しをする。贈り物には、物であっても送り主の心が一緒になっている。人と人のつながりは心と心とはいうものの、なかなかそれだけでよいというものではない。味気ないが物と物の方があとくされなく煩わしくなくてよい。いろいろな節目に送ったり贈られたり、そして半返し倍返しなどと決まりがある。だんだん崩れてきてはいるものの、ものごとにはそれなりの訳がある。仕来り通りにした方が無難である。
 本を出版したらできるだけ差し上げるようにしている。受け取ったとの連絡がないとあまり良い気はしない。読んだ感想などが記してあれば嬉しい。これも昔、ある人から成書を送られて、親しさにかまけてあまり好意的ではない感想を書いたら気分を害されてしまった。昔は(今も?)ずいぶんひどいことを平気で(でもないが)していたものだ。
 北米大陸沿岸の原住民における、大規模な贈答の儀式(ポトラッチ、現地語で贈与を意味する)が知られている。ある有力者が自分の地位や財力を、気前良さを誇示すため高価なものを別の有力者に大量に贈る。贈られた方はそれ相応ないし以上のお返しをする。そうしないとケチというレッテルを貼られて権威を失墜してしまう。そういった贈答応酬の繰り返しなので、贈った方か贈られた方あるいは双方とも破産してしまうことすらあるという。
 布施とは他人に金品を与えることで、仏教の基本的な実践徳目とされる。布施では「与えた。お返しを期待する」という気持ちがあってはならないとされる。お布施をしたからあの世でよい思いをするなどと言った浅ましい気持ちがあってはならない。
 心ではなく物であっても、付き合いは難しい。
 
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