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健康百話

2012-10-15
長廻雑記帖(54)知らぬが仏
長廻 紘
 ヒッグス粒子が発見されたというニュースが世界を駆け巡り(12年7月4日)、翌日の朝刊各紙の一面トップを飾った。物質に質量をあたえるうえで欠かせない素粒子で21世紀の金字塔的な大発見ということである。わたしには隣の爺さんが死んだほどの驚きすらも感じられない。コロンブスが発見しようとするまいと、アメリカ大陸は厳然としてあった。ヒッグス粒子も同じこと。
 それがどんなに正しいことであっても、知らなかった方がよかったということはいくらでもある。知って明日からの生活が変わるわけでも、何かの参考になるわけのものことは知らなくても構わない。知らない方が心の健康にとって良いということは山ほどある。たとえば地動説。宇宙の中心に地球と人類がいて太陽や夜空の星はその周りを廻っていると考える方が、気持ちは落ち着く。地球はその他大勢に過ぎないというのでは不安で仕様がない。地動説以上に心を騒がせるのはビッグバン説。130億年ほど前に点よりも小さなところに大爆発が起こったのが宇宙の誕生であり、その後も休みなく膨張を続けているという説。ヒッグス粒子の実在もこのビッグバン説を裏づけるものだという。宇宙は始めも終わりもなくただ一つと考える方が安心していることができる。ビッグバン説では宇宙にも始めも終わりもあり、それどころか点のように極小の部分が宇宙の始まりとすれば、宇宙と同じようなものが無数にあってもおかしくないことになる。

 それはそうに違いないが、そういった大事実は身近に見る山河草木が愛おしく感じられるという小事実には何の邪魔にもならない。自分のこと、地球のこと、宇宙のことはまったく別の次元である。人類文明のたかだか3-4千年も瞬時にすぎない。そうすると宇宙の数十だか数百億年も瞬時に過ぎないと感じてもよいことになる。人の一生も宇宙の一生も似たようなものである。宇宙も人の心の中にだけあり、その人の死とともに消える。
 真相や真理を告げることは人を不安に陥れる。「あなたは膵臓がんで、余命は半年です」あるいは「あなたは馬鹿です」などのように。分かっても知らせないでいてほしい。凡人は宇宙がどのようにして誕生したか(といったどうでもよいこと)に心迷わされることなく、目にするものは太古の昔から同じようにあり、これからもそうである。わたしは常識的な人間で多くの人に愛されている、という考えのもとに平穏で居させてほしい。
 
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