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健康百話

2012-10-15
長廻雑記帖(52)中途半端
長廻 紘
 中庸と似て非なるものに中途半端がある。ものごとが徹底しないで、どっちつかずな様。中庸は厳格と柔和の両方をよく弁えた者が取る立場であるが、中途半端はどちらもよく知ることなく追い込まれて、あるいは苦し紛れにとる、取らされる立場である。日本は無謀にもアメリカとの戦争(太平洋戦争)に突入した。経済力に格段の差があり勝てるはずはなかった、といまはみな言っている。馬鹿な奴らがやってしまったということである。しかし、軍人たちも総合的に見ると馬鹿には違いないが、頭・知能指数は悪くはなかったと思う。戦争すれば負けると分かるほどの頭はあったであろう。日本という国が、貧乏で余裕がなく背伸びをしてしまった、今風に言えばキレた、というのが真相に近い。すなわち軍人にだけ責を負わせてはいけない。国民が中途半端であった。世界中から圧迫されて、当時の首相が言ったと言われる「清水の舞台から飛び降り」てしまったのである。
 金持ち喧嘩せず、という。貧乏で空元気のある者が喧嘩する。キチガヒニハモノ。弱者は弱みをみせたくないので背伸びしてしまう。ある時点で思考が中断してしまう。金持ちはじっくり考え、お金で済むことならと無理をしない。冷戦が熱戦に至らなかったのは、当事者である米ソが大きな国で容易にはきれなかった。睨み合っているうちに結果は出る。小国は手を着かずに立つ相撲とりのようなものである。『孫子』も言っている。戦争をしないで相手の気が付かないうちに勝つのが上の上。囲んで相手が参るのを待つのが中。肉弾相打って、たとえ勝ってもそれは下。癌を大きな手術で治すのは下。早期に見つけて侵襲の少ない簡単な治療で治すのが中。生活に気を配り癌にならないのが上。

 野口体操の野口三千三は「リーダーはむつかしい。利口ではだめ、馬鹿でもだめ、中途半端はもっとだめ」とよく諭していたそうである。剣道の指南書に、剣は修行を積めば積むほど使わなくなる、といった意味のことが書いてある。「技は振るうべく、修るに非ず。用いざる為なり(野口晴哉『治療の書』)」。技を修めて、技を技として用いるのが利口の道。技をはじめから修めないのが馬鹿の道。技を修めて技を用いずという道は利口でも馬鹿でもないが、その中間ということでもない。このようにして人は、利口とか馬鹿とかいった地平を超えて出る(見田宗介『清風万里』)。
 自己に執着する、自分に捉われるのはよくないといわれる。自己の確立しない者が、捉われるだの捉われないだのといっても、中途半端でありお笑いである。自分というものが一旦確立して、その上で捉われないのが中庸であろう。戦争でも癌でも自分のことがよく分かっている者が勝。分かったつもりで中途半端なのが負ける。
 
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