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健康百話

2012-09-07
長廻雑記帖(49)だから人間
長廻 紘
 人間は年とともに経験を積む。つむのは良いが、それが固い殻となってまとわりつく。殻は放っておくとどんどん生長するし、年とともに厚くなり、ついには苔まで生えてくる。「殻人間」の誕生である。「…だからできない」と弁解するか、「…だからおまえは駄目だ」と高飛車になるか。殻でがんじがらめになって、融通がきかなくなる。殻や苔は外からは見えるが、本人には見えない。殻は外からの情報をシャットアウトするのみならず、内からの情報発信も妨げる。最後は殻人間、生きた化石となる。殻はない方がよいが、ある意味ではその人を特徴づけるものであり、それがゼロでは毒にも薬にもならない人と、これまた否定的な評価に晒される。
 殻は身体全体にまんべんなくつくことも、ある部分に特につくこともある。目につくと視野狭窄、視力低下、色めがねで見るなどとなる。耳につくと聞く耳もたぬ、聴力低下などとなる。鼻舌皮膚心のどこにでもにつく。頭についたのがボケ。殻にはいろいろな種類があるが、凡人に付きやすいのが「コレデイイノダ、もう十分やったのだ、から」という殻。悟ってそれで満足してしまうと暗く深い穴に落ち込む。悟という字は心(こざと)偏に吾、すなわちわが心。人間は進むことなければ、必ず退くものなるがゆえに。「のだ殻」は転落のキーワード。のだからを一旦おぼえると、お経のように唱え続けるようになる。

 厚からず薄すぎぬ殻をまとうことは、人生を芸術的に生きてきた人にのみ可能である。ある人を際立たせる「その人らしさ」という、うすい殻を上手に育てるには、ものの「見方を鍛える」。ものを見るうえで五つの汚れがある。まず我見。すなわち自分大事という我執に捉われること。つぎに偏見。辺見とも書き、ものを子細にみないで一面一辺だけをみてすぐ結論を出すこと。邪見。よこしまな、ねじけた見方で邪慳に通じる。色メガネ見。一つのイデオロギー(考え方)にこだわりその色眼鏡をとおしてものを見、判断すること。同じようなことだが原理原則的見。教条主義、事実を無視して原理原則にこだわること。これら5つの汚れからどれほど距離を置けるかで殻の厚さがきまってくる。五つの汚染に密着するとごわごわとした厚い殻がつく。一般的に言って、物の見方の原則は1.長い目で見る。2.多面的に見る。3.枝葉末節に捉われないで、なにが本質かを見ぬく。
 眼から鱗が落ちるという。鱗も殻の一種であるところをみると、殻もとれたり薄くなったりする。自然にそうなることはあまり期待できない、自分の努力でしか殻は破れない。殻にひびや割れ目を入れるには旅に出るのがてっとり早い。自分の思い通りにならない所へ行く。一か月以上の歩く巡礼に旅立つなどいかがでしょうか。
 
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