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健康百話

2012-03-14
長廻雑記帖(41)病気好きの日本人
長廻 紘
 わたしの年配の友人Sさんは、人もうらやむ頑健な身体に恵まれている。それが何故か病院が好きで暇ができると行っている。A病院へ行ってきたがなんともないと言われた。と不思議そうな顔をしていることがある。悪いという臓器はその都度違うがBCDE病院へ、と暇さえあれば医者通い。どこか悪いといわれると安心すらするようである。そのことをときには大声で時には小さな声で口外する。不思議な人だが決して珍しいことでもない。似たような人は稀ならずいる。なに不自由ない、弱みのないことはそれ自体が弱みであると思っているかのようである。
 だいぶ前のことであるが、ある新聞で、病気もち3人に1人という記事を見た。どんな病気が多いかというと頭痛、肩こり、腰痛、高血圧、胃弱などが主なものである。日本人はこういったさほどのこともない病気を後生大事に抱え、それといわば共存共栄のかたちでより大きな病気から身を護っているようなところがある。一病息災。大貫恵美子の『日本人の病気観』によると「日本人にとっては、病気は一途に排除すべきものではなく健康と病気をはっきり切り離さず、病という弱点をも囲い込みながら生きてゆくという面がある」のだという。

 完全なものは人や神の妬みを買い危ういとする考え方である。本当の健康弱者ばかりではなく、上記Sさんのような強者ですら病弱であることを知ってもらわなくてはならない。なにか日本人を象徴するような話である。日本人は突出した人物がいると寄って集って潰しにかかる。それも自分からではなく陰湿に足を引っ張って。だから賢明な人は「自分は決してあなたが思っているような立派な人間ではありません。ほら、こんなに駄目な人間ですよ」と機会あるごとに病弱であることを証明していなくてはならない。
 軽い、病気ともいえないような不調とは上手に付き合ってはいけるが、こと癌、エイズとか精神病などとなると途端に強い拒否反応をおこす。自分を滅ぼしてしまいかねない強敵だからである。好きな病気、触れ回る病気はあくまでも破滅的に働かないものでなければならない。本物の病気なら「あいつはもうだめだ」というレッテルを張られてしまい、第一巻の終わりとなってしまう。10年ぐらい前まではこれらの不調を伝えることはタブーであった。難病の宣告には日本人はよく耐え得ないとされていた。
告知が一般的になって、必ずしもそうでない、日本人ももろくはないと分かってきた。ひとつ気になるのは、告知がタブーにせよそうでないにせよ、一律に行われているところには問題がある。医者が患者の個々に応じてもっと裁量権を発揮してもよいのではないか。
 
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