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健康百話

2012-01-31
長廻雑記帖(35)一病息災1. 般若不是般若
長廻 紘
 健康はよいに決っているが、無条件に与えられたものと考えると仕返しを受ける。『般若経』に「般若は般若ではない。だから般若である」という有名な言葉がある。般若とは最高の智恵を意味する梵語の音訳であるが、この文中においてはとくに意味がなく、たとえばAで代用してもよい。そうすると「AはAでない。だからAである」となる。どう考えても、非論理的で常識では理解できない文である。真正面から理解しようと向かっていっても跳ね返される。人生と同じで、強敵には逃げるか裏から手を回すかである。なにか補助線を引かなければ歯がたたない。
 機械には必ず他より早くおかしくなる、いわば風邪のような所が設けられている。直しやすい故障想定部分を予め組み込んでおく。全部一度に狂うと大変なことになる。飛行機なら突如空中分解する。完全な機械はかえって危険。そのように、自分は完全と思っている人間は案外なことで躓いてしまう。時々首にならない程度のヘマをやって叩かれた方がよい。大丈夫と放っておいて進行がんが発見されるより、駄目な自分を理解して検査で早めに癌を見つける。病気になってはじめて健康の意味が分かる。一病息災。病気を知らない健康人は危うい。健康は薄氷の上に立っているようなもので、そのことを知らないのは健康ではなく非健康である。健康をこのように考えて、それを補助線とすると、先ほどの般若経の文も何となく分かるような気がしてくる。「健康(般若)は健康(般若)でない。(そのことを知ったの)だから健康(般若)である」。僧肇の『般若無知論』に次のような、般若(知恵)は無知であることを説く論がある。「もし知ることがあれば、知られるものがあることになる。知られるものがあれば、知られないものがあることになる。般若は知ることがなく、したがって知られるものがなく、したがって知られないものがないことになる」。つまり、知と不知の相対性を超越することになり、それでこそ完全な知である「一切知」である。
 健康とは辞書を引くと、「身体的、精神的にすこやかで、わるいところのないこと」とある。健やかとか悪いところの意味が不明確で、つきつめてゆくと分からなくなってくる。最近では社会的、経済的にすこやかである、さらに霊的に健やかという条件も付け加わってきた。本来無一物・一切空であるから、般若にはなんの実体もない、般若即非般若である。でも般若としか言いようがないものはある。般若は非般若だがとりあえず般若と名前をつける。「健康は健康にあらず」といってみても、健康に相当する概念がないと、健康や病気について考えることが出来ない。分かっていることも良くわからないこともひっくるめて、健康という言葉があるから考えや議論を進めてゆくことができる
 
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