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健康百話

2012-01-31
長廻雑記帖(34)不易と流行
長廻 紘
 足は直立歩行するという人間の、身体構造の矛盾を一手に引き受けた。非野生動物的にして人間的な器官になった。そこへゆくと、腸は動物的のまま。人でも牛でも雲雀でも鮭でも、腸はただひたすら消化吸収するのみ。
 腸は胃と肛門の間にある消化管の部位で、消化・吸収・排泄をつかさどる。小腸大腸と並べていわれるが、生命を維持することにおいては消化吸収の主座である小腸の働きが圧倒的。小腸には無数の突起(絨毛)が、その一つひとつにさらに無数の微絨毛があり、吸収のために働く面積はとても広い。小腸が無くなると養分が体内に取り込めないので生きていけない。うまくしたもので小腸に病気は少ない。大腸は主として要らなくなったものの処理に従事するだけだから、無くても生命に異常はない。だが、無いと不便である。腸が動くから糞便は直腸へ進み肛門を通って外へ出る。出ないのが便秘。出て困るのが下痢。
 大腸は生命維持にとって二次的なものであるが、要らなくなった物が集まる所為か、病気の宝庫である。わたしは現役時代にはひたすら大腸の中を内視鏡でのぞいていた。最初の頃、1960年代末から70年代中頃までにかけて、大腸にはみるべき病気はほとんどなかった。それが70年代も半ばを過ぎると急にポリープが沢山見つかりだし、くる日もくる日もポリープ刈り(ポリペクトミー)に追われた。食生活が炭水化物主体の日本型から高たんぱく高カロリーの欧米型に変わってきたためといわれる。そうこうしているうちに大腸癌が増え、21世紀のいまでは女性では死因のトップを占める。一世代で腸の病気はすっかり変わった。人間の身体も病気も単純なものと実感した。
 腸という漢字の旁は易である。易とは変。変える、変わるの易。小腸は10m以上の細い管が狭い腹腔内に納まっていて一定の形はない。漢字の妙である。 腸が消化吸収というただ一つのことのために四六時中働いているように、動き回って止むときのない自然界も底に一定不変の法則を蔵している。変幻極まりないこの世だが一定の法則があるはずだ、と思索した聖人の叡智が『易経』に凝集されている。ギリシャ語でヒューシスは自然の意味。メタ・ヒューシカ(自然の上、越えるもの)は形而上学と訳されている。『易経』繋辞上伝に「形而上者謂之道 形而下者謂之器」とある。現象を超越し、またはその背後に在るものの真の本質、存在の根本原理を知るのを易とい形而上学という。天地間のすべてを陰陽二元の変化によって説明する易は世の秘密を教える。「学易、可以無大過(『論語』述而第7)」。易を学べば、人生行路に大きな誤りはない。人間は底の底に不易なものがないと危うい、流行しないと空しい。「不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新たならず(芭蕉)」。「人に流行がなくなれば、その人はもうお芽出たい(中川一政)」。不易に基づかない流行は空虚
 
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