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健康百話

2012-01-24
長廻雑記帖(33)内臓こそ主人公
長廻 紘
 「生物は宇宙(大宇宙)の諸周期と歩調を合わせて「食と性」の位相を交代させている。動物では内臓諸器官の中に、宇宙リズムと呼応し周期交代の主役を演ずる植物的機能が宿されている」。動物の活動において前半生は個体維持・食が、後半生は種族維持・性(産卵)が支配的である。たとえば鮭は前半生を北太平洋の餌場で育つ食主体・色(しき)の前半生と、飲まず食わずで生まれ故郷の日本の川へ帰ってゆく、いわば空(くう)の後半生とにはっきり別れている。この本能は生の根源である内臓に宿っている。動物の体内には宇宙リズムが組み込まれていて、よく知られているのが体内時計である。それらがもっとも純粋なかたちで宿る場が内臓である(三木成夫『内臓のはたらきと子どもの心』)。内臓とは生そのものである。手足という言葉にみるように、手や足に代表される横紋筋は、平滑筋・内臓が働くために奉仕する奴隷にすぎない。
 大宇宙に対して身体のことを小宇宙というが、内臓をとくに体内に封入された小宇宙と言うことがある。内臓は自律神経の支配を受け意志と関係なく四六時中動いている。古来この内臓・小宇宙と大宇宙の感応を強化しようと、ヨーガ、坐禅、静坐など様々な試みがなされている。これらは吸気時に大宇宙の精化を呑みこみ腹の中で両宇宙の交流を図るという気宇壮大なものである。

 静坐ではゆっくり息を吐きだしながら下腹部に力を入れ、腹部内臓を下方へ押し込む。そういった動きにおいて腹・小宇宙のなかに大宇宙を感じ、両宇宙の交流がなされ上虚下実のしなやかな生が送られる。上虚下実とは、鳩尾の辺りが柔らかく、下腹部が固く充実していることである。腹は精神の場とも想定されている。精神の場であって、腹が・立つ・大きい・据わる・黒い、腹に・一物・据えかねる、ハラワタが・腐る・煮え返る・見え透く、などの言葉にうかがえる。静坐では内臓を刺激し腹を大きくし、人間がどっしりと据わるといわれる。

われわれは鍛えるというとすぐ手足の筋肉を思い浮かべ、飛んだり跳ねたりすることを連想する。最近では脳を鍛えるという訳の分からない言葉まで踊っている。本当に鍛えるべきは内臓で、手足や脳ではない。まず内臓がしっかりしていてこそ、身体全体がしゃんとする。そのうえで手足と脳を鍛えることに意味が生じる。これが逆になることは本末転倒である。もし鍛えるなら、それは内面であって外面ではない。外に求めず、内心喘がず。食べることは胃腸の単なる仕事で、ましてきたえる心算で沢山たべるのは鍛えることではない。下痢するのがおちである。また、脳を鍛えて一体どうなるというのか。ものごとを観察するときには、なにがそのものの底の底にあるか、本当に動かしているのは何か、をみなければならない。内臓こそ動物の底に位置し、動かしている。
 
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