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健康百話

2011-11-10
長廻雑記帖(30)言葉は変わる
長廻 紘
 言葉は生き物で、変わってゆきます。変わり方にはいろいろあるが、基本的には、1)古い言葉に新しい意味をもたせる。2)古い言葉を捨てて、新しい言葉を創造する。前者の例は辞書を引けば限りなくみつけることができる。後者の最近の例は、痴呆症をやめて認知症という、それまでなじみのなかった術語を作ったことです。ちなみに認知とは、心理学的に対象に気づきそのものの意味を知る過程の総体をいいます。
 ここ10年ぐらいの間に古くから使われてきた言葉の少なからぬものが変えられたり変わったりしている。医療関係では、痴呆が認知症になったほかに、看護婦が看護師に、精神分裂病が統合失調症に、など挙げればきりがありません。言葉は時代とともに変わってゆくものです。また「患者」が「患者様」に、それとは逆に「お医者様」が「医者」になったような変わり方もあります。長く使われている間にだんだん差別的なニュアンスが増えてきた、のが上記変化群の大きな理由です。乞食は差別的な言葉とは思うが、乞食自体が被差別的な仕事なので、言葉を変えてどうこうという問題とは次元が異なる。「お乞食様」といっても、どうなるものでもない。アメリカでも蔑称視されたニグロやインディアンなどに変わってアフリカ系黒人、ネイティブ・アメリカンなどと言うようになっています。
 あまり深く考えることなく言葉を使っていると、おもわぬところで人を傷つけていることがある。看護婦は差別語とは言えないが、職業婦人いらいの「婦」という文字がなんとなく嫌われた面がある。日本で翻訳語(とくに名詞)が変わるとき、相当する外国語ではどうであろうかと思うことがある。看護婦と訳される元となったナースはおそらくナースのまま、痴呆のデメンチアもデメンチアのままであろう。精神分裂病のシゾフレニアはどうであろうか。上に挙げたアース・看護師などの例は、外国語が変わったからそれにつれて日本語も変わったということではなさそうである。
 変わる以上は変わってよかったという面が、少なくとも変わって悪くなった面より多くなければ意味がない。看護「師」になってから彼女らの意識が「婦」のころと変わり、より積極的に医療に取り組んでいるように感じられ、仕事の場における態度が堂々としてきたようにみえる。そのぶん医療全体によい結果をもたらしている。痴呆が認知症に変わったことに関しては賛否両論があるようであるが、だんだん定着してゆくものと思われる。
 認知症を病む人は、生きがいなく甲羅を経ただけと思われている。そうではなく、圧倒的に多くの患者がアルツハイマー病などの器質性疾患を病んでいるのである。そういう観点から痴呆症より認知症の方が同情的術語といえる。
 
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