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健康百話

2011-09-28
長廻雑記帖(27)内外ともに朽ちる
長廻 紘
 人相という言葉がある。それまでに、為たことなしたことの全てが身体に出る。出てしまったものは仕方ないが、年を取るとある種のものが急に出てくる。人相は面相だけでない、手相、肩相など体中すべてに相がある。明治初期の日本人を撮った写真集をみると、背が低く小柄ながら腰が据わって姿勢がよく、なによりも人相がよい。堂々としている。そういう人を選んで撮ったのかもしれないが数が多いところを見ればそうでもなかろう。人々は必死で生きて生活に全精神を集中し、なにごとかを学んだ。そうではなかった大都市江戸の面々には情けない顔がちゃんと残されている。『孟子』に「面にあらわれ、背にあふれる」とある。人の豊かさは面よりも肩に多く現れる。後姿にでる哀れさ寂しさは正直なもので、隠しようがない。仏には常人と異なる32の身体的特徴が備わっているとされ三十二相という。頭から足の先まで、また男根の様まで望ましき姿(そう)をいう。その一つに「踵満足相」がある。踵(かかと)がふっくらとしてきれいなこと。年をとったり病気になると踵がざらざらしたりヒビが入ったりする。一見元気そうであっても踵を見れば真実が分かる。
 人間は年をとってゆく。それはまた、外見にのみ現れるのではない。むしろ内面にこそ出てくる。生まれたときは「一」である。何にでも、善にも悪にもなりうる「一」である。生後の変貌を遺伝子に帰する説と環境のせいだとする説とがあるが、ここではそれは置く。われわれは子供のころから社会に出てからもいろいろな人と交わって友となったり敵となったりする。はじめの時点での印象があるが、時の経過とともに変わってくることも同じままのこともある。最初に有ったわずかな違和感が、しばらくたって会ってみて大幅に拡大していて驚かされることもある。加齢に伴って抑制がとれてそうなるのであろうか。萌さないうちに真相を察知することは難しいが重要なことである。

 身体を使いこなしていれば、老いても身体も心も朽ちない。朽ちるとは、身体が不必要に曲がってこじんまりしてきて、心に覇気がなくなることをいう。外がそうなら、内もおなじ。見えないから気づかないだけで内臓も朽ちてくる。たとえば、ものが自分で食べられなくなる。排泄が思うままに行かない、など。死ぬと内臓から腐る。生きていても身体を使わないと内臓は残っているようにみえても働かない。腐っている。手足は意識的に動かして衰えを防ぐことができる。本当に大事な内臓はあまり意識的に鍛えられていないので、なにかあるとすぐに腐ってしまう。鍛える場所(手足か内臓か)の本末転倒である。高齢になって意識がはっきりしなくなるのはつらいが、それは周りの人にとってである。意識がはっきりしていても内臓が働いてくれないのは、本人にとって大変つらいことである。
 
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