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健康百話

2011-05-24
長廻雑記帖(16)病気になっても病人になるな 2.病日本
長廻 紘
 人には自浄作用がある。病気の程度にもよるが、多くの人は自力で「病人」から単なる「病気をもった人」へと脱してゆける。それを助けることができれば医者といえる。医者は病人になってしまった患者の役に立つことができるか。治療をするのは医者の仕事だから当然であるが、それだけで終わっては病人がかわいそうだ。そんな医者にかかっては病気が治っても病人は病人のままで止まるであろう。検査したり注射したりだけでは病人を作りつづける。ましてや患者様など言葉の問題に矮小化してはならない。医者は病気を治せばよい、それ以外は余分なことで病人は自分で病人から抜けださなければと思っていたような気がする。いまは医者を止めてどちらかといえば自分が患者の立場に近いのでそうではない。直す以上は病気だけでなく病人からも救い出してこそ医者、と考えを変えた。病気を持つということは人を弱くする。自分で患者になってみて、たいした病気でないのに痛感する。まず病院の門をくぐるだけで気分が落ち込む。医者の表情発言に敏感になる。患者様などといわれるとコノヤローと思ってしまう。そんなことで治るものではない。

 一般的にいって、医者は忙しすぎる。もう少し余裕があれば、すこし病気のことを知っている立場で人間同士として話すことができればどんなによいか。どんな話をしてもその人の強い自我というものが患者を病人に止めている因であるのに気づかせることができる。話題はなんでも良い。話している中で我執に気づいてもらえればよい。潜在的にあったその人のつよい我に執着している様を病気が顕在化し、病人たらしめているだけである。病気は災難ではあるが我執を見つめる良い機会である。でもそんなことを考える余裕は病気に苦しむ人にはないであろう。
 日本という国、日本人という人々は病人になってしまった。貧乏ついでに貧乏人にまでなりかかっている。世界史的な巡りあわせでたまたま病気になったが、病人にまでなることはない。「七人の侍」で、野武士との戦闘を前に「こんなときには何か高く翻るものがほしいのでな」と千秋実が掘立小屋でぼろきれで旗を縫いながらつぶやいていた。貧乏だったころの先祖はそのようであった。過去の成功体験にとらわれた病日本人は心の中にどんな虚妄を描いているのか。自分さえ良ければ、なんでも他人の所為といって閉じこもっている。頭の上に旗を立てていない、立てようにも旗がない。国手であるはずの政治家が医者でない。人はみな同じ。病気を持った人も持たない人も同じ。旗が見つかれば病気は治る。病める日本人よ、若かったころ元気だったころのおおらかな気持ちを取りかえそう。そうしないと、本当に中華人民共和国・日本族自治区になってしまう。     
 
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