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健康百話

2011-05-09
長廻雑記帖(14)気―2.呼吸
長廻 紘
 山を上るとき、荒い息を吐きながら追い越してゆく人がいる。そのままのこともあるが、あとでこちらが追いつくことも稀ならずある。鼻息の荒い人はときにへばって座り込んでいることすらある。平静な呼吸で追い越してゆく人に、ふたたび追いつくことはない。経験をつんだスリの言葉「鼻息の荒い人の財布を掏り取る事はイトモ簡単なことです」。
 呼吸とは生命を維持するための単なる空気の出入ではなく、個人の身体(ミクロ)と大宇宙(マクロ)をつなぐものである。身体は閉鎖系ではなく外部とつながったもの、身体を通して心は宇宙とつながっている。気は身体内を巡りながら皮膚や手足末端を通じて外界の気の流れとつながっている。呼吸を通じて、身体的にはもとより気の出入という精神的・メタ身体的な面を通じて外と交流している。
 呼吸は腹式と胸式とに大別される。前者は横隔膜を下げることによって胸郭を拡げる。後者は肋間筋の運動によって胸郭を拡げ、肺に空気を入れる。普段無意識に行っているのが胸式呼吸である。腹式は意識的に為しうる呼吸なので武道、芸能、修行などの基本とされる。立つようになった人間は重心が下にあるほど安定している。東洋の達人は踵で息を吸って声を出すと言われるほどである。胸式よりもっと下の腹式呼吸のほうが人間に安定感、落ち着きを与える。ゆっくり息を吐きながら丹田に力を入れ精神の統一を図る。気を通じて宇宙とつながっていると信じることができたら、大きな精神的な安定が得られる。

 武道、芸能や修行において基本になるのは姿勢と呼吸の調整、および両者の調和である。その極意は心気の一致にある。姿勢と呼吸が理にかなう、自然であればあるほど身体は宇宙とうまく同調している。上半身の力を抜き背筋を伸ばし重心を丹田にしずめる姿勢、自然体。修行とは、身体性に基礎をおいて身体と宇宙とをうまく同調させながら心の領域に向かいそこに見える世界を知る努力のことである。呼吸が調えば自然体が生きて働き、調わねば自然体でなく死体。呼吸の荒い人は心も荒く、注意散漫でスリのいい鴨。
 人生百年に書いたように静坐を日課としている。坐って静かに呼吸をしていると体内を気が流れているような気分になり、気持ちが落ち着いてくる。気のような得体のしれないものをわれわれは信じることができるのか。信じてよいのか。「信じれば存在するに至る」という。信じれば気も存在するに至る。人間はその信じるものによって知られる。神とか愛は無いけれどもあると信じる人の心は豊かなものであろう。修業をつんだ武芸者たとえば宮本武蔵と凡人が剣を持って(生死を賭けている)相対した場合、凡人は武蔵から発する気に圧倒されて、立っていることもかなわないだろう。気は在る人にはある。
 
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