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健康百話

2011-04-11
長廻雑記帖(12)歩行考2.
長廻 紘
 歩くのに目的はあってもなくても良いが、無いようでも大部分の人にはある。思いつくままに列挙してみると、1.どこかへ行く、2.健康維持、3.暇つぶし、4.見聞を広める。5.出会い、などがある。思索も入れたいが今の騒々しい環境ではむりだろう。だが歩いているときは何故か良い考えが浮かんでくる。その時はノートに書き留めるが、後で見ると大体くだらない。むかし歩いていると短歌が浮かぶことがあり、書きとめたが同じように平凡なものだった。歩くと気分が昂揚する面があるかもしれない。
 外へ出る。歩いてみなければ始まらない。本当に必要なものは向こうからやってくる。出会いを運に任せる。犬だって歩けば棒にあたる。まして万物の霊長が歩けば何にだって当たれる。難にもあたれる。難のない人生なんてつまらない。暇なせいだろうが3-40分くらいまでの所へは歩く。タクシーに乗らない。歩くときはどこまでと決めておくと山であっても大体歩ける。高尾山ヘ月に10-15回くらい登るが、最初からもっと奥の陣馬山までと決めてゆけば行けるが、途中からもっと延ばそうと思ってもうまくいかないで、高尾山頂上に着いたら帰りたくなってしまう。

 山では「こんにちは」と挨拶する人が多い。こちらを向いて目の会う人は挨拶を返す。だいたい気持ちよい笑顔である。そういうのを繰り返しているせいか、こちらも思わず笑顔が出るようになってきているのに気づく。昔は用もないのに笑うのはどうかと思っていたが。歩くことは身体の健康維持に、言われているほどは貢献してはいない。むしろ頭や精神の健康に貢献大である。
 仕事をやめてから読書や作文に時間を費やしているが、それだけでは長く続かない、どうしても余ってしまう時間が生じる。一日中緊張を保つことは難しい。生活習慣病対策という必要に迫られて歩行を始め、歩くことが生活の中心に据って、なんとか一日が安定している。朝起きてから、まず2時間ほど本を読む。そのあいだに簡単な朝食を摂る。次いで1時間ほど文章をつくる。その後、般若心経の写経と静坐で1時間。それらで疲れてくると上記の散歩に出かけ、昼食もその間のどこかですます。帰って夕食の準備と摂食で一日は終了。寝る前にまた写経と静坐。働いていた頃より時間が足りないくらいだ。
 定年後もそれまでと同じく人生に価値はある。消化試合ではない。別の次元の異なる価値がある。それを早く見つけるのが勝負。高齢者は健康でないと価値ある生を送ることは難しい。健康を害していると一日がいかにも味気ない。良き後半生を見せることによって前半生もまぐれではなかった、光に包まれたものだったと主張することが出来る。死ぬまで歩いて頑健であれ。弱った姿を知人に見せるのは大いなる裏切りである。弱ったら引っ込んでいる。
 
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