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健康百話

2011-04-08
長廻雑記帖(11)歩行考 1.
長廻 紘

盛夏以外は雨が降らないかぎり毎日歩く。コースは三つあって1.高尾山、2.井の頭池を一周して帰る、3.深大寺あるいは調布往復。いずれも三鷹の家から2時間ほどである。最後の辺りに目的とするものがあるのであまり苦にはならない。高尾山では富士山(見えないことのほうが多いが)、井の頭は池周辺の逍遥と古本屋そして調布は図書館(近くにある、三鷹や武蔵野のそれらより充実している)。定年前には出歩かなかったので、自宅がこんなに恵まれた環境にあるとは気づかなかった。地方に引っ越そうと思ってかなり探しまわったが三鷹ベストと分かって止め。

中山間部いわゆる田舎を歩くことも多いが歩いている人や家の前でぶらぶらしている人に出会うことがきわめて稀であり、道を聞くのが大変である。また人口減で学校が統廃合され遠くなり児童はスクールバス通学、すなわち歩かない。少なくも駅の階段を上り下りする都会の人間のほうが歩いていると言える。だが都会の駅にエスカレーターが増えている。そして誰も歩かなくなった。年寄りばかりが歩いている。散歩が挫折しない秘訣は、都会の場合、歩くコースにトイレが多く設けられていて、それらの在り処を熟知していることである。年を取ると水分をよく摂るのは大事なことであるし、尿意を催すと若い人のように我慢が続かない。

歩けばよいというものでもない。必要ないとき急いではいけないが、だらだら歩きはもっといけない。臍下丹田に足の付け根があると想定し、背筋を伸ばし大股で歩く。背曲がりから外見の加齢が始まる。年を取って最も困るのは、家に引きこもってしまうことである。だんだん外界への関心が薄れてくる。家に篭ってTVの水戸黄門をみて、悪い奴が懲らしめられるのを見てカタルシスに陥る。悪い奴は自分で懲らしめないと現実社会では誰もこらしめない。TVなんか見るから懲らしめる力がなくなってゆく。ますます惚ける。そうしている内に身の回りへの関心もうすれる。人は足か頭から衰えてくる。頭を鍛えるのはなかなか骨が折れるが、足は歩くことが習慣になれば大丈夫。悲惨なことになる確率は減る。


動物と人間の違うところは、人間は目的に応じてゆっくり歩くことができる。ぶらぶら歩き・逍遥ということも人間はする。犬もするが主人に従っているだけ。歩くことは本を読むのに例えられる。急いで歩くのは表紙だけ見るようなもので読んだうちに入らない。老人はゆっくりページをめくり熟読するに値する本だけを読む。漫画を読みながら死んだ、など洒落にもならない。歩きながら街を見、山川草木を見、人々を観る。仕事をやめた年、四国88箇所を巡った。東京にいては分からない、地方都市の衰退を眼のあたりにし愕然とした。

 
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