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健康百話

2011-04-08
長廻雑記帖(10)人生百年
長廻 紘

人生はどのように生きてきたかによってアルモノが来たり来なかったりする。言い方を変えれば、来ても気づいたり気づかなかったりする。またわれわれは何かを待って生きているわけではないが、生き方によってあることが起こったり起こらなかったりする。こればかりはどうすることもできない。わたしがどのような人生を歩んだか自分ではまとめることはできないが、良きにつけ悪きにつけ半分以上は先祖代々の見えない力によるであろう。

あるとき静坐というものに出会い、躊躇なく実行にうつし2年経つ。静坐とは、明治末から大正にかけて岡田虎二郎によって創案され一世を風靡した一種の修行である。両足を重ね上体をやや前傾させ背骨を伸ばし、腹式呼吸を為す。宇宙を呑みこむような気概で息を吸い、ゆっくり吐きながら下腹部に力をこめ、内臓を骨盤の方へ押しやるようにする。呼吸を調え精神を集中するといった基本は坐禅と同じ。日本人の生活に正坐がとけ込んでいた時代だから思いつかれたと思う。

最初の頃は足が痺れ無為であることなどが辛いので、とにかく坐れるように知恵をしぼって思いついたのが、静坐の姿勢で般若心経を写経することであった。写経は15分くらいで終わるが、その頃には心が落ち着いてきて、そのまますんなり静坐に入れる。いきなり静坐というのは、最初は心や呼吸が乱れて静坐にならない。その間に写経(字を書くことだから簡単に入れる)というワンクッションを置いたらあんがい上手くいった。この写経を静坐が上手くゆくための補助線と考えることができる。上手に補助線を見つけることを習慣とすれば、いろいろな面で愚直にぶつかり真向勝負で悪戦苦闘するより、この世は過ごしやすい。Aを懲らしめたいときBを利用するのは補助線とはいわない。悪知恵という。


さて、私の祖父の兄は東大の印度哲学を出た宗教家で106才まで生き、最後まで頭が冴えていた。牧師をしていた若い頃、仕事や人生に行き詰まりを感じ、岡田虎二郎の指導を受け熱心につとめた。そのことを彼の遺著『人生百年』で知った。もう30年以上前に上梓された本であるが、放っておいたのに偶然出てきて開いたら静坐の思い出が載っていた。自分で静坐を始めたばかりの頃だったので驚いたと同時に励みとなった。秦・始皇帝をはじめ不老長寿を求める人は多かった。さすがに現代では夢のまた夢と本気にする人はいない。しかし、不老を生きているあいだしっかりしてコレッポッチも呆けないこと、長寿を百才前後まで生きると定義すれば不老長寿は必ずしも夢ではない。私も百才ぐらいまで生きると密かに思っている。大叔父の歴史と静坐がそのことを後押ししてくれそうな予感がする。百才の遥か手前で亡くなったら笑って下さい。

 
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