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健康百話

2011-04-08
長廻雑記帖(9)深く根をはる
長廻 紘

骨折を機にリハビリ施設のお世話になった母親を見舞いに行った。駅からタクシーで「M苑」へ。「お風呂から上がって炬燵で寝ておられます」と職員の言。長廻アサノという名前の老婦人が横になっていた。母と信じ手を握って、こんなに変わり果ててしまってと涙ぐみながら話した。しかしどうも顔つきが違うし話も合わない。「○○が私の財布を海に投げた」などととんでも無いことも言う。変だなと思いながらも10分以上話した。見舞いの人はサインするようにと、ノートを渡された。見るとこの老婦人の見舞客は知らない人の名ばかり。念のためもう一度聞くと「M苑」の隣に「M」があり、そこにも長廻アサノと言う人が居ると分かり、そちらへ向かった。紛うかたない母が居た。母はアサノではなく朝乃である。3ヶ月前に見舞ったときより元気そうで一安心。それにしても母を見間違えるとは、理由の如何を問わず親不孝者と言われても返す言葉はない。

その母も1年後に92才で亡くなった。特段の病気も、さほどの苦しみもなく老衰といってよかろう。母の亡くなった次の日から奈良県吉野の大峯奥駈けに参加の予定であった。荷物も現地に届き、歩き出すだけとなっていたがやむなく不参加。3年連続で参加し4回目となる筈であった。体調も十分ではなく、どうも気が進まなかったので、参加したら事故につながったかもしれない。なんとなく母が救ってくれたような気がした。母は最期まで頼りない長男が心配だったのだろう、力を貸してくれた。20年前に亡くなった父ともども弟が看取った。私は両方とも亡くなってからの連絡で駆けつけただけ。絵にかいたような賢弟愚兄。田舎で家業を継ぎ、親の面倒をよくみてくれた。地に根を生やした一生といえる。


両親ともになくなられてみると、それまで磐石の基盤の上に立っていたような気がしていたものが、突如、根無し草のようなきわめて落ち着きのないものになってくる。どこから何のため生まれてきたのか、と。当たり前のことながら人間(に限らず生物)は、先祖代々引継いだ歴史から逃れることはできないし、その歴史に守られてもいる。そんなことを思っていると、古希にして初孫に恵まれた。なかば諦めていたので嬉しかった。人間が生きてゆくということは根を生やし深く深く張ってゆくこと。樹はどんなに大きくても深く根を張っていないと、あるいは育った場所がわるいと案外な雪や風で倒れる。10年の冬、高尾山の大木が雪で倒れ通行止めになった。人も樹と同じ、周りに生かされているにはちがいないが、自分で生きているという面がなくてはつまらないことで倒れる。最近「○○から元気をもらった」という人を多くみかける。元気は自分で出すもので、他人から貰うのは空元気。いざというとき役立たない。

 
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