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健康百話

2011-02-10
長廻雑記帖(4)知足
長廻 紘

知足とは足るを知る。足るとは分に相応する、こんなもんだ、と満足する足。わたしの患者さんで電鉄会社の創業社長の偉い人がおられたが知足というお名前であった。絶世の美女のお嬢さんが父を治してくれたら私をあげると言われたからだけではないが頑張った。脱線するが、医者は社会的に人間的に自分より遥かに偉い人と仕事の関係で親しく接することがある。若さの特権で自分も偉いような気になってしまう。よくない。

 

さて、知足にはもっと大事な別の意味がある。足は人間の身体のうちで最も負担がかかり苦労している部位である。直立は四足に比べて不安定な姿勢だ。手を生かすために立ったのはよいが、足を犠牲にしてしまった。それ以来、全体重が全気圧とともに懸かるのが足である。足はいつも悲鳴を上げている。だから横になって休むと楽になる。足がしっかりしていれば大抵のことには耐えられる。足の重要性を知って足を労わり大事にすることも知足。

足の変調が体の要である腰(肉月偏に旁が要)へくる。足膝腰が弱るとそこから全身がガタガタと崩れる。腰抜け。血液は心臓から足へは楽に行く。だが心臓へ還えるのは重力に逆らうのだから並大抵のことではない。汚れた血が足にたまり易い。だから人間は足からおかしくなる。それだけではない、足が地についていない、という表現にみるように足がするべきことをしていない人は人間までダメと判定される。故に足を鍛えることは身体に筋を通すとともに人間を鍛えることでもある。歩け。


わたしは毎年二千㌔くらい歩いている。万歩計で貯めたけちな歩きではない。一日2時間以上歩いたとき歩いたと称し、その距離の総計である。ここ5年で1万㌔は歩いている。歩いていないときには静坐をしている。立ってばかりはおれないように寝てばかりもおれない。中道を説かれたお釈迦様にならって立臥の中間の坐、すわる。坐って呼吸を調える(調息)ことは心を調え(調心)身体を調える(調身)ことでもある。およそインドから日本までの東洋において呼吸を重視しない宗教、芸道、武道などはない。姿勢をただし呼吸を調えることを静坐という。わたしの静坐は足を重ねた正坐だが、姿勢の形はさほど問題ではない。中国の朱子たち宋儒のように椅子に坐っての静坐もある。毎日、朝晩30分ずつ坐っている。静坐とは、静かに坐って心を鎮め世界に相対することである。


 
 
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