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健康百話

2011-02-09
長廻雑記帖(3)壺中の天
長廻 紘

前回触れた壺中の天は『後漢書』にある。後漢書とは中国28正史の一つ。わたしの壺中の天は司馬遷、班固、陳寿らの史書。古代ギリシャのヘロドトス、ツキジデスなどの歴史、戦史、下ってはギボンの「ローマ史」などの歴史書を、仕事のあいまに読むことであった。残念ながら日本の史書で再読三読に耐えるものは少ない。歴史時代に入る前の『古事記』くらいか。『後漢書』時代は英雄の少ない地味な時代であるせいもあって、前後の『史記』、『漢書』と『三国志』に挟まれてあまり読まれない。ただ方術伝や逸民伝は面白い。年のせいか事件史、政治史に対する興味は失せてきて、文化史が面白くなってきた。その国の文化の基礎を築いた中世史、日本で言えば室町時代、に興味がある。方術伝には伝説的な名医で曹操の病気を治したとされる華ダの伝記もある。

 

さて、『後漢書』方術伝中の費長房伝に次のような話が載っている。「費長房は市場の役人であった。市の中に薬を売っている老人がいて、一つの壺を店先に懸けていた。商売が終わるとその壺の中へ跳んで入った。誰にも見えなかったが仙術に長じていた長房には見えた。長房が酒と乾肉をもっていって頼むと一緒に壺に入れてくれた。そこは華麗な宮殿で美酒とご馳走に溢れていた」。ざっとまあこんな話である。この話から、誰にも知られない自分だけの楽しみ、隠れ家のことを壺中の天という。

中国人はこういった話が好きで、陶淵明には「桃花源の記」がある。川の上流に分け入って行くと穴があって、そこを入ってゆくと桃源郷があった。浦島太郎が亀の背で入った竜宮城もここらから出てきたのか。また若干おもむきが違うが、唐代小説に「枕中記」がある。科挙に落第した貧書生が趙の邯鄲で昼寝していて夢を見た。彼は栄耀栄華を極めたが、夢から醒めるとまだ枕頭の粥が煮えていなかった、それほど短い夢であった。こちらは壺中天とは逆に人生の栄枯盛衰の儚さの譬えとされる。

 

壺中の天のような場所を持っていたらむしゃくしゃして面白くないとき、あるいはなにもする事が無いときそこに潜んで英気を養う。人は年がら年中あくせくしていたら遠からず燃え尽きてしまう。仕事帰りの居酒屋もそうかもしれないが、同じ会社の連中と人の悪口をいっているようでは壺中の天とはいえない。肥溜中の地獄。天堂未だ就らざるに地獄先ず成る。せめて異業種の人たちと語り合えれば。


どのような壺中天を持つかによって人は分かる。成功は才能に因るが、失敗はそれぞれの人の種類による。「人之過也 各於其党(『論語』里仁)」。肥溜めに落ちる人はそういう人である。

 
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