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健康百話

2018-05-14
健康百話(92)終末期医療
長廻 紘

 どんなにあがいても人間は死ぬ。死が遠くない人を対象とした医療を終末期医療という。人間は年老いてあるいは長患いののちに死んでゆく。医師が客観的な情報をもとに、治療によっても病気の回復が望めないと判断した時期以降を終末期という。そして本人、家族、友人などが終末期にあると納得すると終末期医療が始まる。もちろん終末期の判断は難しくベテランの医師でも迷うことが少なくない。
この半世紀のうちに日本人の平均寿命は20歳近く伸びたというデータをもとに日本老年医学会は高齢者の再定義を試みている。日本人は明らかに若返っているので、高齢者の定義を現行より遅く75歳以上にするという提言をまとめた。65歳より10年遅くして、65~74を准高齢者とし、高齢者というくびきから解放し、その期間を若い気持ちで過ごしてもらおうという趣旨であろう。90歳以上を超高齢者とする。希望通り高齢者が動いてくれるかどうかは不明であるが、考え方としては悪くない。わざわざ高齢者を定義しようとするのだから、それによるメリットがなければならない。たとえば「もう若くないのだから無理をしてはいけませんよ」あるいは逆に「じっとしていると衰えるばかりだから少し気合をいれたらどうですか」などと分からせる。分からせられてどうするかは個人の問題である。
終末期に限らず、高齢者医療では1.生命(尊重すべきもの) 2.医療費(無駄)という相矛盾する二つの問題に直面する。無限に続くはずのない生命と無限に垂れ流してよいものではない医療費との矛盾である。よく効くが高価であるオプシーボの登場がこの問題を改めて明るみに出した。
病気を根本的に治すのではなく、死を一時的に延ばす医療行為を延命治療という。老衰や疾病の末期に回復が望めず延命しても患者本人の為にならない、それによって質の高い生命を回復する保証がないときは医者患者ともよく考えるべきである。単に生命が続いているだけの状態は好もしいものではないと考える人は増えている。一般的に考えられている延命治療とは人工呼吸器装着、胃瘻造設、中心静脈栄養などであるが、ふつうの医療行為と考えられている輸液、輸血、人工透析なども終末期においては、もはや身体がそれらの医療を有効に使うことができず、かえって身体に負担を与えるだけに終わることがある。行為の複雑度、難易度は延命治療と関係はない。たとえば水分補給がままならない人に輸液を行うことがあるが、その水分を使いこなせず浮腫として身体のどこかに溜まるに過ぎないことがある。
医療費にはさらに二つの問題点がある。一つは医療は崇高な行為であるという表の顔とともに、患者が生きて存在することは医療側の収入源であるという冷徹な裏の顔がある(前項参照)。手をこまねいていて患者が死亡するより患者が生き続けて検査、投薬などの治療の対象となる方が望ましいと考える病院もある。もう一つは医療費が全体として国家財政を圧迫する。生命尊重の名のもとに限りある財源を無条件に使っていたら国家は破産するしかない。現在医療費は40兆円を超えるという。

 
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