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健康百話

2017-11-20
健康百話(78)消化管――取り込んで一体化する
長廻 紘

 見た目に美しくかつ美味しい食事も消化管を通ると美しくも美味そうでもない糞便と化す。食物は消化管を通過することによって変身する。一般に事物が本質を失うと起こるのと同じことが消化吸収の過程において食物にも起り、栄養という美であり本質であるものが原物質から失われ糞便となる。食べられなかった食物は食物でないどころかなにものでもない、ごみである。マタイ伝第5章に「汝らは地の塩である。塩もし効力を失えば、後は用なし、外に捨てられて人に踏まれるのみ」とある。
食事から体内へ取り入れられるものは三大栄養素をはじめ生きるのに必要なものである。人間が消化によって自分のものにするもの(成果)と、それを通じて自分自身に疎遠になるものとがあり、後者は糞である。労働の成果が貨幣に化すと味も素っ気もなくなる、とマルクスは言った。そのような食物変化の場所である胃と腸(それに食道)を合わせたものが消化管という消化吸収を務める中空の臓器である。  消化・吸収については58話で述べた。
人間に限らず、脊椎動物は袋からできている。その袋を裏返すと内が外になる。いや内と見えるものが実は外である。単なるノッペラボーであったものが発生の過程でまず陥入して袋か管になってゆく。口から肛門までの消化管は一本の管であり、身体の中にあるように見えるが外である。その証拠に消化されないパチンコ玉を飲めばそのまま外へ出る。外(口)から外(肛門)へ、である。いずれも体表と同じ上皮で覆われ内と外との物質交換の仲介を通して生命現象の中心となる。消化管では栄養吸収、呼吸器では酸素と炭酸ガスの交換、心・血管系は血液の供給を行っている。
われわれの身体はわれわれの食べるものからできている。食物は食べた人と一体化することによって真の食物となる。一体化できない余分なものは鬼子としての皮下脂肪となる。人と食物との一体化とは、人が食物を愛することである。なぜ食べるか。動物は人間も含めて食物を自分と同類と思うから食べる。人間は紙を同類(消化吸収できる)と思わないから食べないが、ヤギは同類と思うから食べる。他は自とおなじである。わたしが食物たとえばビフテキを意識するとは実は自分を意識していることである。対象は現象において他者であるが、他者のふりをしている自己である。食べることの基本は同類である生きたものを捕って食べることであるが、現代においては、自己と食物の間には幾重にもなされた加工があるので、野生動物が生きたものを捕って食べるというイメージからは遠い。
一体化とは誰もが他者によってのみ自分自身となる、食物によって自己となる、ということである。キリスト教徒は日々食べるパンとワインをイエス・キリストの肉体と血液と信じ、それらを食べることによってイエスと一体になれると思っている、そうである。パンとワインを精神的な何者かであると感じている。人はパンのみによって生きるのではないとイエスはいったが、では何のために生きるのかと問われて答えることのできる人が果たしているのであろうか。わたしは食物が、美味しい食物が、ないと生きていたくない。

 
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