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健康百話

2017-07-07
健康百話(77)続・かむ
長廻 紘

 「酒と女は二号まで」の松尾心空老師に、「咀嚼四則」という教えがある。1.一箸ごとに箸をおくべし。2.大気を咀嚼すべし。3.酒は噛んで呑むべし。4.古賢先哲の訓絵を咀嚼すべし。箸置きは飾りではなく、箸をおいてゆっくり噛む(咀嚼30回)ためにある。
噛む、口腔筋を動かすことは食塊をつくり唾液分泌を促すだけではなく、脳の前頭前野を活性化し、記憶の貯蔵庫である海馬の活動を増強させる。ちなみに人間は他の哺乳類に比べて噛む力が弱い。それは猿では顎が発達して咀嚼筋である側頭筋が頭頂部まで盛り上がるようにくっついているのに対して、人では顎が退化して側頭筋は頭頂部から側頭部にまで下がり顔全体で噛むというわけにはいかない、極端に言えば顔の下半分で噛むようになっている。その代り咀嚼筋の束縛から解放された脳頭蓋は容積の拡大を獲得した。歯でよく噛むことは、脳の賦活につながる。弱い咀嚼力を補いかつ口腔全体の動きをよくするため各種の工夫がなされている。たとえば口腔の運動として「アイウヴェー」運動が推奨されている。口をアで広げ、イで横へ、ウで突き出し、ヴェーと言いながら舌を出す。ア、イ、ウ、ヴェーのそれぞれにおいて口の形と舌の位置はまったく異なる。これを朝起き掛け、毎食前にそれぞれ10回ずつ繰り返すと口腔の動きがスムースに行き誤嚥などの防止に良い。道を歩きながら行ってもよいが近くの人に不審がられないよう、歩行時には声は出さずに行う。
前項で少し触れた誤嚥性肺炎は老人において重要なできごとである。その予防の為に口腔ケアは重要である。Yoneyamaらによると、口腔ケアによって誤嚥性肺炎の発症がおよそ3分の2に減ったという。口腔ケアは口腔内の細菌叢を改善し、たとえ誤嚥しても気道に侵入する細菌数を減らし、唾液分泌や嚥下反射の改善が期待できる。誤嚥性肺炎の予防には食後すぐ臥床せず半坐位を保つことも重要である。また嚥下リハビリテーションがあり、嚥下しにくいものと嚥下しやすいものとを交互に摂る交互嚥下や食後の空嚥下が口腔咽頭腔内の残留を減らすのに重要である。食事自体が疲労の因になりうるので食事中に適当な休憩を挟むことも必要である。
認知症のある人が噛めなくなることが認知症の更なる進行に寄与する可能性が指摘されている。しからば入れ歯を治して噛む力を維持することは認知症者のケアにおいて極めて重要である。そうであるからには、胃瘻を造設することによって噛む機会を奪うことは弱っている人を一層弱めることになる。胃瘻自体は決して悪い医療行為ではないが、半永久的に噛む力を弱めてしまうところに問題がある。いったん付けた胃瘻を外した数少ない人たちがその喜びを嬉々として語るのを何度か聞いた。胃瘻は疾患の急性期をしのぎ再び食べることができる間の一時しのぎでなければならない。
食べられなくなると体力、免疫力、生命力のすべてが衰え、負のスパイラルに落ち込んで行く。人は急速に衰弱してゆく。「健康長寿の秘訣は噛んで呑むこと」にある。古代中国医学は医食同源といって食を医と同等ないしそれ以上に評価していた。もちろん医のレベルが低かったことも無視しえないけれども。

 
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