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健康百話

2017-07-07
健康百話(76)はじめが肝心――噛む
長廻 紘

 消化は食道から始まると考えている人が少なくない。とんでもないことである、歯から始まる。いや、歯の前、食事を見ることから始まる(視覚期)。食事を目の前にして、美味しそうだなと五感で感じ、「さあ食べる」という気持ちが自然に起これば後は心配いらない、自動的に推移する。
歯にしてもただ機械的に噛むことではなく、しっかり噛んで唾液をよく分泌するから消化の初めとして抵抗なく位置付けられている。歯の手入れをしっかりしないと歯や歯周部が侵され、雑菌の巣となる。アリの一穴というように、歯というサイズにおいてはささいな所から結果的には全身に異常が及ぶ。
何事も、はじめが肝心で、はじめが締まらないと中も後も芳しくない。消化吸収も最初が無視できない由縁である。食物を歯でしっかり噛むことによって唾液を分泌しその助けで食塊を形成し(咀嚼期)、その食塊を嚥下反応によって口腔から咽頭へ送り込む随意運動(口腔期)、食塊を咽頭腔内から食道へ送り込む不随意運動(咽頭期)がしっかり行われなければならない。この第一段階が不十分だと以下の消化作用は不十分なものにならざるを得ない。食道は食塊を蠕動によって胃に送る(喉頭・食道期)。噛む、送り込む、呑みこむは一連の動作で、前がうまくいってこそ次もうまくゆく。どこかに不調が出ると全体がうまくゆかない。陸上競技の三段跳び。助走、ホップ、ステップ、ジャンプが連続的に行って初めて遠くへまで跳べるように、歯から食道までの動きもそのようにスムースに遅滞なく進行してこそ食塊をつくりそれを呑みこめる。 
嚥下という漢字のつくりは燕、英語で嚥下の動詞はswallowすなわち燕。漢英両語ともに嚥下は燕の子が餌を呑み下すイメージから来ている。鳥はくちばしに食べ物を入れてから嘴を上に向けるだけで物は喉を通って消化管のほうへ入ってゆく(自由嚥下)。人間の嚥下では、物が喉へ着くまでは自分の思い通りになる自由運動(いつでも止められる)であるが、咽喉に達するや否や不随意運動となり、もはや止めることはできない。それから、物は嚥下反射という1秒以内という短時間の運動によって食道に入る。ここのところが上手くゆかないと大変なことになり、物が気管から肺のほうにはいる。いわゆる誤嚥が生じる。口という一つの入り口を通って二つの行き先、食道と気管、がある、設計ミスである。口になにもない時は、食道の入り口が閉じて気管の入り口は開いている。ものを呑みこむときには自動的に気管が閉じて食道が開く。このことが上手くゆかないと食物が肺に入る、誤嚥。誤嚥は老人における肺炎の最も多い原因で、老人は誤嚥性肺炎を繰り返すことによって衰弱を早めてゆく。
何かを通過すればものは必ず変わる。通過しなければ元のまま。人も物もなにかを通過して別のものに変化するのが、生きる。人が一生のうちに通過・経験すること(就学、成人、結婚、親になる、就職など)を通過儀礼イニシエーションという。それらを経ることによって人間らしい人間になってゆく。喉を通らなければ食物は栄養とはなりえない。あるいは通過が不首尾だと悪いほうへ変化、美食も誤嚥性肺炎の原因になってしまう。
いろいろな理由で栄養が不十分であると生命活動全般が上手くゆかなくなり身体のさまざまな機能に支障が生じる。免疫は自然に備わっているものであるが、栄養不十分の一環として免疫力が低下する。高齢者で噛む力が弱ってくると免疫力低下は起こりやすく、若い人では何でもないことが重大なことにつながる。たとえば、誤嚥は若い健康な人にも起こるがあまり問題はないが高齢者では重篤な肺炎につながる。進行癌で体力が衰えた人では免疫力も低下しているので多くの場合の死因は感染症である。

 
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