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健康百話

2017-07-07
健康百話(75)飲食
長廻 紘

 美食家サヴァランが言っている「君が何を食べているか言ってみたまえ。そうすれば君がどんな人間か言ってやろう」。われわれは我々が食べた、まさにそのもの(結果)である、とはだれかの言葉である。人間はその人が食べたものが、文字通り血となり肉となった作品といえる。食べ物をおろそかにする者は自分も人生も粗末にしています。
 世界に宗教はたくさんあり、そのすべてが飲食について細かに、うるさいぐらい細かに規定しています。たとえば有名なイスラム教の豚、ヒンズー教の牛を食べてはいけないという戒律。仏教は獣食を禁じていたので明治になって始めて日本人は牛鍋を食べだした。食事は、人が神を知る、あるいは神をもっとも近くで感じうるときだといえます(若松英輔『イエス伝』)。イエス・キリストは食事を重視し、食べることは神にふれることであり、命が命にふれる営みだったという。弟子たちと最後の会合も食事を共にしながらであった(最後の晩餐)。ルカ福音書には次のようにある。「葡萄酒の杯を手に取り『これはわたしの血である』。パンを裂き、彼らに渡して言われた『これはわたしの体である』と。昔はよく同じ釜の飯を食った仲といって、同志的な団結や親しさを強調したものである。
あらゆる健康に関する書には飲食について触れている。飲み食いしなければ動物は生きてゆくことはできないし、飲食の内容によって人の出来は決まってくる。栄養学的要求を満たしたうえで、口腹の欲を満たすものを日々口にすることができれば人は幸せである。戦争中には糖尿病はみられなかったが、今や糖尿病は国民病といえるほど多い。それは豊富すぎる食事情によるものである。
最近、食育という言葉をよく聞くようになったが古くからある言葉で、食べものを通してあるいは食べることを通して教育することを言う。たとえば「知育の根源も体育の根源も食物にあるので、食育のほうが大事だ」と村井弦斎の『食道楽(1903)』にある。勉強や体育より飲食について教える方がより重要といっている。『養生訓』は食育の書といってもよかろう。「人の身は元気を天地にうけて生ずれども、飲食の養いなければ元気をなくし命をたもちがたし。元気は生命の本なり、飲食は生命の養なり。略。然れども、飲食は人の大欲にして、口腹の好むところなり(『養生訓』)」。貝原益軒の上記の書には飲食に関するこまごまとした記載がある。ざっと挙げてみると、飲食とも控えめにせよ、飽食を避けよ(腹八分目)、五味偏勝は不可、深更に夜食してはならぬなどまだまだ続くが、要するに過ぎたるは及ばざるがごとしで、量的にまたは部分的に片寄った食事は健康を損なうものであると、控えめを強調(寡欲の得)している。飽食の時代にこそ従うべき教えと思いあえてここに写しました。老人は鮨を食うなど面白いことや今日の知識からは正しくないことも数々記されているが、当時の医療事情とも関係があるのでしょう。
 しかし、近頃は一人で食べる、あるいは多人数で食べてもお互いに話したりしないでTVを診たり新聞を読んだりしながら食べている。食育という考え方は地に落ちている。だからであろうか、再び食育に関心が向かっている。
食餌と疾患の関係は移民における研究から明らかになってきて、伝統的な日本食をしてきた民がアメリカ(ハワイ、カリフォルニア)へ移住した場合、疾病も現地化しそれも一世より二世に著しく、体質はあまり関係ないようである。癌も胃がんから欧米食の民に多い大腸がん、乳がんへ移行する。そして日本人自体が欧米食になってくるにつれ移民に見られたのと同じような疾病傾向に日本人もなってきた。
食事は病気と関係した生活習慣の根幹にあり、生活習慣病の多くは食事による。糖尿病、肥満、癌などみな食餌関連の生活習慣病である。
水は全てを洗い流し浄化するものである。キリスト教でいう洗礼(水で全身ないし頭を洗う)はそこから来ているのであろう。アリストテレスによって哲学者(ものごとの根本を深く考える人)の始祖と断定されている古代ギリシャのタレスは、万物の原理、あらゆる生成変化の元にあるもの、を水であるといった。地球は水の惑星であり、自然万有は水から生成するだけでなくまた水へと帰ってゆく。そこに生きる生物は体組成の大部分が水である水の生きものである。細胞は水の塊といってもよく、細胞の集積である動物(人間)ももちろん水が主成分である。細胞の外にも水(細胞外液)はある。人体の○○㌫が水であり、その損失はたちまち重大な結果をもたらす。自然万有は水から生成するばかりではなく、また水へ戻る。水の生物である人間ももちろん水の消失と運命を共にする。とくに高齢者では体内の水分の変化に鈍感であり、重大な事態に至るまで水分欠乏に気づかないことがある。
食餌は環境(手に入る食糧に規制される)ので、国や地域によってあまり変動が見られないのがふつうであるが、最近の日本くらい食の内容や形態が変わったところはあまりないのではないでしょうか。明治以来ゆっくり時に急速に変わってきたといえます。まず明治期における肉食の禁の解除、大正・昭和初期の兵隊さんの食事改革を通して中華や欧風料理、インド料理の取入れすなわちタンパク質・脂肪の増加、戦後の経済成長をきっかけとする世界中の料理の取入れいわゆるグルメ時代にという具合です。特徴的なのは何が入ってきても自分たちの基本は守られていて、極端な肥満者が極めて少ない点です。

長い間変動が少ない固形のものを主としたのを食事といい、口から入る液体を飲み物という。水が主であるがコーヒー、茶、ジュースのたぐいである。人は一日に8ℓの液体が体中を廻っていて、2~3ℓが口から入り他は消化液など体内で分泌されるものである。大部分は再吸収されるが、一部は尿や汗として体外へ排泄される。水は口から入り、身体の中で様々な働きをしたのち腎臓で尿に変えられ尿道を通って体外へ排出される。汗も重要な水の排出路であるので夏には汗とともに水分が失われやすい。水分が不足すると口渇感が生じ自然に水に向かって手が出るものであるが、それができないとき熱中症になりやすい。身体から水分が減ることを脱水という。脱水の頻度は加齢とともに増し、その原因として1.加齢による生理的変化すなわち体組成変化による総体内水分量の減少、2.水電解質調整機能の低下などが知られている。脱水を来しやすい病態としては嚥下障害や消化器疾患による病的な経口摂取低下や感染症による発熱が挙げられる。また高齢者では種々の理由から薬剤使用が多いがその中で利尿剤や緩下剤は脱水を起こしやすい。若年者に比べ予備力が低く脱水の結果はより重篤なものになりやすい。
気候温暖化の影響で近年日本でも猛暑日(気温35度以上)や熱帯夜(最低気温25度以上)が増えてきている。熱中症は高温環境下での労働や運動中に発症することが多かったが、最近では通常生活時にもみられるようになっている。締め切った部屋で水分をあまりとることなく長時間居ると発症しやすい。熱中症とは高温のもとで体温の調節機能が低下したことによって諸症状が起きることである。症状は熱射病(高体温、急性循環不全、頭痛、悪心、めまい、熱性失神、熱性けいれんなど)、水分喪失(水分欠乏を主体とする脱水症状で高Na血症を呈する)、塩分喪失(塩分欠乏を主体とする脱水症状で低Na血症を呈する)など。

 
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