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健康百話

2017-01-17
健康百話(57)病気はなんのためにある
長廻 紘

 なりたくて病気になる人はいないが、それでもなってしまうのが病気というものです。病気は生きものである人間の宿命といってよいものです。急性の病気、例えば炎症性疾患に対しては抗生物質を服用させるように対処法がほぼ確立されていますが、慢性疾患については人それぞれに対し方が異なって当然です。主要な慢性疾患はいずれも長く続いた生活習慣の結果として起こるものです。大雑把に分類するとA.高血圧、糖尿病といったいわゆる狭義の生活習慣病で長く付き合うことが運命づけられているもの。同じく生活習慣病であるが、B.どっちに転ぶにしても勝負の早い癌。長い期間にわたり介護が必要なC.認知症。D.その他となります。
一病息災という言葉がありますが、それぞれの病気においてそれぞれの意味において当てはまります。Aにおいては病気を治すのではなく管理・コントロールが主となります。病気を診断されたら、生活習慣を反省し病気に至った生活に気づきそれらを改めかつ薬の服用によって日常生活が遅滞なく行えるようにすることが求められます。これらの生活習慣病は道路における赤信号のようなもので無視して突っ走れば事故ときには死亡事故につながりかねません。赤や黄色の信号で停車し青信号を待つことが求められます。健康により留意して暮らして行くことをも意味し、赤信号に気づかなかったら寿命が短縮することが多い病気ですが気づいて対処すれば結果的に病気のない人より健康長寿が得られるきっかけになることさえあり得ます。兼好法師の高名の木登りの話に見るように「あやまちは安きところ」に待ち受けている、症状が軽いから問題ないと呑気でいると危ういようなものである。
 Bの癌。この病気を治すのは容易なことではありませんが、現在では多くの癌は治る病気のうちに分類されています。治るには生活に気を付け予防することも含まれています。癌は体という畑にまいた種が伸び根を生やし枝葉を出してゆくことに例えられる病気です。種の段階では簡単に吹き飛ばすことができますが、長い根を張るようになると治すことは大変で機械で根を引っこ抜くと土にポッカリ穴が開くように体に欠損を残すことになります。長い過酷な治療に耐える日々のうちに、来し方行く末を考える時間があります。そこにおいていわば生まれ変わって、治癒後の人生に果敢に立ち向かってゆけるようになる。『イワン・イリッチの死』において、凡俗の代表のようなイリッチが死病にかかり己の過去が虚偽に過ぎなかったことに気づかされます。
Cの認知症。最近の研究によるといきなり発症するのではなく、水が凍るときにはだんだん水温が下がって、ある時にあたかも突如のように氷るのと同じように、十数年ときには数十年も前から異常蛋白が沈着し始めてある量を超えると発症するという。この絶対にかかりたくない病気は罹りたくないという強い意志のもとに脳と足腰を鍛えるという生活習慣を取り入れることによって予防ないしは発症を遅らせることができます。人にそういう意思を持たせるところに認知症の存在意義があるといえます。その証拠に、最近発症年齢が上がってきている(より高齢で発症)という報告が増えています。   風邪の効用

 
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