HOME > フクシ情報広場

健康百話

2016-10-31
健康百話(53)穏やかな死――涅槃
長廻 紘

 人は誰でも、山あり谷ありの波乱万丈の一生を送り、やがて死んでゆきます。生には長短があり山や谷には高低があるものの、波乱万丈であることには変わりありません。与えられた生を生ききって、やがて誰にも邪魔されることなく静かに消え入るように亡くなって行くのが普通の人生であろうと思います。それを仏教では涅槃といって、燃料が無くなって命の火が吹き消えるような平穏な死をいいます。そこでは妄想、欲望、敵意が消滅します。航空機は長い飛行ののちだんだん速度と高度を下げ滑走路へ向かって静かに降りてゆきます。動物は燃料を無理やり注ぎ込まれて生き続けることには本能的に抵抗するものです。死期を悟ったら誰にも邪魔されない死に場所へ向かいます(象の墓場)。
着陸態勢に入った飛行機が気象条件などによって、突如もう少し飛んで別の空港へ行かなくならなくなったらどうなることでしょう。人間はそうはいっていず様々な方法でもう少し生きることを強要されたら内心ではどのように思っているのでしょうか。身体はすでにそのような体制になっているので、突然ともいえるもっと頑張れという励ましとも脅しともいえる命令がくればうろたえることでしょう。
人は誰も自分が死ぬ、今でなくてもいつか死ぬと分かっています。そうであれば、どのように死ぬかは自分の思い通りであってほしいと思うものです。できるだけ長く生きて苦しむことなく死にたい、でしょう。高齢になって、肉体的精神的に思うようにいかなくなると、いろいろなことを考えるようになります。基本的には何が何でも生きたいのではあるが、満足かつ十分な生が望めなくなったらどうするかについて、一つは与えられた生であるから全うすべく万全を尽くす。他の極には早めに自分の意思で切り上げる、という考えもある。人間も昔(いつのことかは別にして)はそのように考え行動していたものと思われます。飲食することなくジッとしていれば誰にも迷惑をかけることなく静かに死んでいけるものでしょう。しかし、孤独死といって誰にもみとられることなく家で一人で亡くなる方もあります。年間6000万人位でその半数以上が65歳以上の高齢者といわれます。
かつては大部分の人が自宅で亡くなったものですが高度成長期を境として(家に面倒を見る人がいなくなったせいか)多くの人は病院で死ぬようになりました。医療人はその本性として、一日でも一時間でも病者が長く生きるよう努力を傾けます。死は敗北という考え方です。しかし、それは医療者の勝手な思い込みかもしれません。肉体的に精神的によく生きたと思う者は、だれにも邪魔されることなく穏やかに死んでゆくことを望んでおられるかもしれません。
燃料が無くなったのに無理やり給油されて生かされ、生が延びることもあります。生を続ける意思も能力もないときには、給油は必ずしも歓迎すべきことではないかもしれません。

 
バックナンバー
健康情報広場
健康百話
広報
▲このページの先頭へ