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健康百話

2016-02-26
健康百話(39)寒暑到来
長廻 紘

 「人間は、事物自体によってではなく、事物についていだく考えによって苦しめられている(『エセー』第一巻14章)」。人は癌自体によってよりも、癌に付きまとう様々な神話や伝承によって苦しめられている。
「癌そく死」の時代では、多くの人の死亡原因は、自分の病気を知ること、癌人(癌という思いに時間空間を支配される人)になることでした。「諸国大名は弓矢で殺す、紅屋の娘は目で殺す」。この世において殺すものは多いが、癌は名前で殺します。頭の中が対癌恐怖に占められて、癌を中心に世の中が廻ってしまっている人を癌人(癌に乗っ取られた人、癌に自分を差し出した人)、その人の発言を癌語といいます。癌になっても癌人にはなるな。癌が有るけれどもそれによって右往左往しない人は癌人ではありません。癌を死病と思った途端に癌はそのように振舞います。癌人になってしまえば気持ちは萎え、やすやすと病の餌食になってしまいます。
生きることは見ることである。眼がないと見えないが、眼はみな同じではない、沢山の種類がある。天眼、活眼、睡眼(もうろう)、死眼など。あるいは肉眼と心眼。人は外と同時に内を見、現在と同時に過去・未来を見、表面とともに裏面、光とともに影を、現象の奥に本体・本質を見なければならない。天眼で見るとすべては同じに見える。活眼は現象の奥に本体・本質を見すえ、活きて動いているものをありのままに見る。逆に、人を観るには眼をみればよい。眼こそは重要なものである。眼を見れば彼の一切が分かる。彼がどんなに溌剌としているか。大声を出して陽気そうにしていても、ほんとうはどんなに索漠としているか、眼が教えてくれる。
活句に参じ死句に参ぜず、という言い方がある。活句とは活きてそこから世界が広がってゆく、そのような言葉。死句とは固定して止まったままの言葉でそこからはなにも生まれてこない。独断と偏見というフレーズがありました。使われ始めたときは新鮮に見えたもの(活句)でしたが、使われ過ぎるとまたあんなことを言っていると死句になってしまいました。独断偏見に限らず死句を使いすぎると敬遠されますよ。
癌になったら、それを見据えることによって自分の人生を考え直していく、自分の生をまともなものに変えて行くきっかけに為しえます。鉄を金に変える錬金術。残された期間がどんなに短くても、癌になった自分のことを考えるには十分な時間です。「寒暑到来 如何廻避(『碧巌録』43則)」。癌(寒暑)がやって来たらどうすればよいでしょうかと弟子に問われた先生が、徹底的に向き合え、逃げると捕まると答えました。逃げると鉄は鉄のまま。徹底的に向き合うところに、癌はわれわれの本当の姿、本来の自己を見せてくれます。死を眼の前にして始めて真実が見えてくる。
生活習慣病である癌になった自分を反省する。いくら年をとっても子供のままであった人が、癌になって癌を見据えることによって大人になる。そのことを「癌、我をわれならしむ」といいます。生活習慣は必ずしも飲食といったものとは限りません。

 
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