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健康百話

2015-10-07
健康百話(33)癌はわたしたちの影法師
長廻 紘

 誰もが立派な人すなわち仏になる可能性(仏性)をもっているとして、仏教では「一切衆生 悉有仏性」と言います。人間に知恵がついてしまった、罪ある者(必要以上に食べ、必要以上に生きる)として自然の理から外れた人間は癌に罹る必然性・癌性を持っています。そのことを仏性にならって癌性といえば、「一切衆生 悉有癌性」となります。癌は各人それぞれの生まれ(遺伝子)と育ち(生活)によって左右される、極めて個人的特異的なできごとです。なにかが光に当たってできる影のように癌はわれわれそのもの生きてきたことの影です。影というものは、何かが光を浴びてできるので、「なにかと光」が無ければできません。癌における何かとはわれわれ人間すなわちDNAで、光とは生活です。光が強ければ影は濃く、光が弱ければ影は薄くなります。生活という光が強ければ癌という影は濃くなります。すべての人が影をもつように、すべての人も癌を持ち、その癌はその人そっくりです。なんでもかんでも癌の原因と主張するのは行き過ぎですが、現代の便利な生活を光とすれば、その影として癌があるのは紛れもない事実です。癌は各人の過去(の生活)という光を映したその人の影法師です。煙草の多い生活の影は肺癌、食塩の多い生活の影は胃癌、牛肉食の影は大腸癌といった具合です。
身体を構成する正常細胞の中にあるのが遺伝子・DNAで、突き詰めて考えれば人というものはDNAのことといって過言ではありません。人が生きている、生活しているということはDNAが変異を繰り返しているということで、その結果できるものが癌です。光があれば影ができるように、癌も飲食という生活があればこそ生じるものです。飲食がなければできないという意味で癌は我々の影法師ということになります。影は本体そっくりで、肥満者の影は太くヤセの影は細い、そのように癌もそれを生んだ各人そっくりです。
人間は自分自身、本来あるべき自然的自己になろうとして苦闘しているものです。自然的自己とは正しい生活、理にかなった(食)生活を行っている自己のことです。なにが理にかなっているかが本当はよく分かっていないので癌はあるといえます。一般的に言って、本来の自己というものはよく分からないので苦闘自体が往々にして空回りとなっている傾向があります。理から遠いほど生活という光は強く影は濃く、癌もできやすいのです。理というものが直観的に分かっている人が癌から逃れていると言えます。強い光というものが研究の進展によってだんだん明らかになりつつあります。たとえばタバコ、食塩など。
影は善でも悪でもなく、単なる現象に過ぎないが、あの人は影が薄い、影がないなどということがある。本体が駄目だと影まで駄目。癌というブレーキに伴って体の中に穴のようなものが開き、そこを通して外の風が吹きこんでくる、それまで見えなかったものが見えてくる、気づかされます。影ではなく本体がみえる。癌に罹ってなにかを感じることができる人は、不幸中の幸いといえます。人生経験が癌と共同して、うまく化学反応を起こしてくれます。癌に苦しむことによって人間は初めて子供から大人になるということができます。

 
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