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健康百話

2015-08-19
健康百話(29)健康について 3.健康ノイローゼ
長廻 紘

 健康はあいまいな概念ですから、一旦大事な物ということになると限度なく大事になってしまいます。どこまでやるべきか分からなくなってしまい、健康という言葉に振り回されます。いわゆる健康ノイローゼです。
肝心なことは、健康は使うためのものであって、それ自身が目的ではないということです。健康とお金はそれに乗ってあの世へ行く道具ではなく、持ち腐らせることなく、この世で使い切るものです。100mを10秒あるいは15秒で走ることは目標でありえますが、健康であることは同じ意味での目標たりえません。食べるものがおいしく快眠快便であればとりあえず悩むことはないでしょう。健康とは向こうからやって来るものではなく、少なくとも現状から逃げて行くものができるだけ少なくなるようにするのが健康だと思います。
現状維持。健康のために新たに何かを付け加えることではない。普通に食事ができていれば十分で、健康に良いという食品を余分に摂ることではないと思います。TVで○○という食品が健康に良いという番組が流れると、その食品はたちまちスーパーの棚から消えて行くそうです。情けないことではありませんか。必要以上に健康度について悩むとなると趣味の問題に堕してしまいます。ただ癌だけは体調とは関係ないので年に一度の癌検診はお忘れなく。
肉体的な健康は健康一般よりもさらに曖昧な物です。健康一般とは幸福感の有無で計りえなくもないものですが、肉体的健康は測る基準のないもの、訳の分からないものです。肉体的に健康の塊のようなスポーツ選手が実は必ずしも健康ではないのかもしれません。先に述べたように、逆立ちして歩けることと健康とは何の関係もないのです。二本足で歩けないのは健康とは言えないでしょうが。
なぜわれわれは健康に、健康という言葉に過敏になっているのでしょうか。健康であればそうでない場合より長く生きることができるし、不健康ではできないことができるからでしょう、か。しかし、長寿やデキルは幻想に過ぎません。それよりも、健康であることが社会の一員であることの証明のように考えられているからかも知れません。『健康不安社会を生きる』というタイトルの本がよく売れているところからわかるように、われわれは健康でなければ一人前でないといった強迫観念、健康ノイローゼにとらわれ過ぎているのかもしれません。ノイローゼとは、どこも悪くないのに悪いと思い込むことです。身体のことが不安で、不安で仕方がない。
しかし、健康は定義できないけれども、健康という概念が在ることは時間と同じように在るのも間違いありません。また、健康という言葉がないといわゆる健康や病気について考える、議論することができません。しかし、不健康ははっきりしています。熱があって体がだるいというのは不健康です。手術不能の癌で寝ついているというのは明らかに不健康です。このように具体的に示すことができる不健康は説明可能です。だが、ある不健康な状態たとえば発熱が改善されたからといって健康であるとはいえないところに健康・不健康問題の難しい点があります。

 
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