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健康百話

2015-06-18
健康百話(24)手――諸悪の根源
長廻 紘

 人類は足を失い(四足が二足)、身体の安定を失った代わりに手の自由を得た。フランス・ルネサンス期の外科医パレは人間の三大属性として理性、言葉と並んで手をあげた。このように高い評価がある一方、芳しくない面もある。文字を書くことと言葉を話すことの二つによって人類は他の生物にとっての悪の手段を手にしたといわれています。手口、手八丁口八丁のように、手と口は並べて使われることが多い、すなわち同類。手はなんでも為しうる、あるいは為せられている。手段という言葉にみるようになにかをするのは手。手のつく言葉は辞書に山ほどあり、多くは為すことを意味します。一見なんにも気の利いた役に立ちそうにもない足と異なって、手術に代表されるように、手は人間進歩の推進役のように見えます。手はいくらあっても足りないので千手(千眼)観音はあるが千足観音はない。
人間が他の生物にとって悪だとすれば、手はさしずめ頭とともに諸悪の根源ということになります。ミロのヴィーナスは手がないからこそ精神性を得て崇高である、ということを言った人がいる。口はなんでも為す手と同じく何でも言える。ミロのヴィーナスだって最初は手があったはずである。先ほどの崇高といった御仁は手のあるヴィーナスを見たら何と言ってくれるのでしょうか。合掌は両手を合わせることによって手の自由を無くし悪を為さないことを示す。これはどうも本当のようである。握手もそうであろう。手は善悪なんでもなし、人間そのものともいえる。手も顔と同じように、人の経歴を過不足なく現すという考えが当然のようにある。手を見ればその人が分かり、手相を観るとその人が分かる。節くれだった手、しなやかな手。「…じっと手をみる(啄木)」。手のうちでも最もその人の来歴を示すと考えられる手掌の皮の状態とスジすなわち手相を見て人を判断する手相見と、それを信じる人がいてもおかしくない。新宿辺りの手相見に聞いたところでは、手を見ながら話をして見ながら客に言うことを考えているそうである。手を見たって駆け出しには分かりませんよ。
手八丁口八丁は小悪の代名詞。大悪は手も口も静か。なにごとも騒ぐ者はくみし易い。病院へ怒鳴り込んでくる人は、上手に話すとあとでは感謝しながら帰ってゆく。よけい怒らせるのは病院側から諸々の八丁が出てゆくとき。説き伏せられた人は、説き伏せられたことによって元々あった不満がよけい募る。不満を持っている人に勝ってはいけない。ただよく聞くに徹するだけ。求められれば説明して納得してもらう。目をいきなり見ると用心されるから、まず手を見る、次いで口を見る。おもむろに人相すなわち目を中心にした顔を見る。そして黙ってただ相手の言うことを聴いている。我慢できなくて自分から喋りだすとややこしくなる。
剣道の大家の言うところによると、竹刀を持って相対するとき圧迫に耐えられなくなった方が仕掛ける羽目に陥るそうである。仕掛けた方が負けるとは両者とも知っているのに。もちろん剣道だけの話ではない。睨み合っているとき目を逸らすと負けであるが、弱い方が逸らす。チキンレース。

 
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