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健康百話

2015-05-11
健康百話(20)共依存――情けはひとの為ならず
長廻 紘

 困っている人を見ると放っておけないと思うのは誰でもがもつ感情である。しかし、その感情はゼロに近いものから宗教的聖者における極大まで巾は大きい。困っていて他から助けられた人は、それによって独立できるようになることも頼りきるようになる事もあり、後者を依存(症)という。助ける人もたすけ続けるようになる事がある。助けて喜ばれるのは悪い気がしないものだから、だんだん助け続けることに生きがいすら見いだすようになる。親の子に対する保護は助けと言えるかどうかわからないが、他人に対する保護・世話焼きは助けである。それが一定のところに止まれば問題はないが、世話の焼きすぎは過干渉で、必ずしも良いこととは限らない。
アルコール依存症の人の家族は依存症者の役に立つのが嬉しく、つい自分より相手を優先し相手の立場に立ちすぎ「私がいないとこの人は駄目になってしまう」と、過保護になりかねない。そうなった場合、かえって相手の立ち直りを妨げてしまう。人(ここではアル中の人)に必要とされ世話を焼くうちに知らず知らずに、世話を焼くということに自分が依存してそこに自己の存在価値を見いだしてしまう。世話をし過ぎて患者の回復を妨げてしまう。アル中も世話焼きも共に相手がいないと寂しさを感じる。病者と治者がお互いの存在を必要とする状態を共依存という。おかしなことだが現実にはけっこう多いという。
共依存に陥る人は、自分に自信がない、自己評価が低いという共通した特徴がある。そういう人は他人を世話することによって自己評価を高め自分を肯定的に見ることができるようになる。だから共依存ではお互いにその「快適な」状態から抜け出ることが難しくなる。ときには世話を必要としている人を自分の方から探すこともあるという。共依存に在ると気づくことはなかなか難しい。共依存に陥りやすい人には上記のほかにもこんな特徴がある。自分より相手のことを優先的に考える。対人関係に疲れやすく自信がない、など。
ボランティア好きなあなた、思い当るところは在りませんか。
他人のために何かする人の心情に入り込むのは難しい。古代中国・春秋時代に管仲という政治家がいた。彼は部下を大事にしたのでその部下は恩義ある管仲のために危険を冒して死んだ。部下の母親は泣きながら管仲を詰って「あなたが息子をあんなに可愛がらなければ、彼は死んでまであなたに尽くすこともなかったろうに」。そこから「情けは人の為ならず」という格言ができた。その心は、人に情けをかけておけば、巡り巡って果報は自分の方に来るということである。『史記』列伝を見直したらこの話は管仲の項にはなかった。この文は雑学を与えるものではないのでお許しください。管仲ではなく呉起であった。
ところが近年では、情けをかける、世話を焼くとその人の自立を妨げるから禁物であるという風に理解する人が少なくないという。だらしない人とそれを親身に世話焼く人、そういう事例を多く見るからそう解釈するようになったのであろうか。なにごとにおいても過ぎたるは及ばざるが如しで、自分が良いと思うことも度が過ぎるとブーメランのように、自分にも跳ね返ってくる。

 
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