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健康百話

2015-05-11
健康百話(19)安心は健康のもと
長廻 紘

 古代中国の杞の国に、天が落ちてくるのではないかと憂えた人がいた、と『列子』に記してある。彼にちなんで将来のことがとても不安でたまらないことを杞憂といいます。いったん不安になると何でもかでも不安の種になる。不安には二種類あり、対象が明らかな不安と明らかでない漠然たる不安とがある。前者にはお金、食事などに関するもので、後者は何故かは分からないが不安を感じる場合である。いずれにしても不安があると原因の如何を問わず健康を損なう因となるものであり、不安を感じたらその正体をハッキリさせ除くことが肝要です。インドから中国に禅宗を伝えた達磨の弟子に慧可がいた。慧可は漠然とした不安で堪らなくなり師である達磨に相談した。達磨はお前の言う不安というものをここへ持ってきて見せなさいと言った。慧可は探し回ったが、不安というものは持てる物としてはどこにもなかった。不安は自作自演に過ぎないとわかって慧可は落ち着くことができた。
それが何であるかは別にして、われわれはなにか確実なものがあると信じて辛うじて心の平安を得ることができる。たとえば世界の中心に地球があり、自分はその中心にいる。このように信じることができれば、われわれは確実な安定的土台の上に立っていると落ち着いていることができる。コペルニクスはその確信を打ち砕いた。地球は中心ではなく太陽の周りを廻る沢山ある惑星の一つである。その太陽ですらこの宇宙に無数にある恒星の一つに過ぎない。 
あるいは、古代ギリシャ以来の全ての物は原子からできているという原子説も崩れた。物を細かく分解して行ったときそれぞれの特性を失わない範囲で到達しうる物質の最小単位があり、それを原子と名づけた。もはや分けることができない最小な「破壊不可能な実体」と考えられてきたが、原子は陽子と電子から成るという下部構造をもったものであって、放射能によって原子も破壊される(変化する)ことが分かった。現代物理学では最小と言いうる単一物質はない。確固とした物的基盤が存在するというのはどうも幻想にすぎないのかもしれないということになっている。
そういった知識があると不安が増すかというとそういうことは無い。宇宙にしても原子にしてもあまりにも極大ないし極小であって、日常的に働いている人間の小さな頭脳と次元が違い過ぎて幸いなことに関係ない。心配はいらない。不安の基は人間が存在して生きていることに、ハムレットの「To be or not to be.生きるべきか死すべきか」にある。不安は実存主義哲学の重要概念であり、キルケゴールでは実存のもつ本質的矛盾から、ハイデガーでは根源的無に根ざし(人間は無の上に乗っている)、両者とも不安とは特定の対象への恐怖とは異なります。普通の人にとって、生死は宇宙や原子と同じで、在ると分かっても次元が異なりすぎて脇へ置いておけば済むことで、現実の心配にはなりません。不安の種はつまるところ経済につきます。明日の米に心配がなければ不安は生じようがなく、健康であり続けることができます。米がないと梯子を外されたようなもので、セーフティーネットの無い現代では落ちる所まですぐ落ちる。

 
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