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健康百話

2015-04-27
健康百話(17)見えてくるもの
長廻 紘

 朝、目覚めるとまず天井の模様、窓や障子、布団など周りに在るものが見えてきます。べつに見たいわけではないけれども目の前にあるから見える、自然に目に映る。見るではなく見える。しばらくして頭が働きだすと今度は必要な物を見ようとします。これは見えるではなく見る。窓を開けて空模様をみる。コップを探して水を飲む。それから後は、すること為すことすべてに見るという行為が先に立つ。見ることなしには何ごとも始まらないしできません。
一仕事終えて気が緩んでくると「見る」からまた「見える」の世界に帰ってゆきます。隣の席の同僚があくびをしている。むこうにはお茶を飲んでいる人がいる。見るためには気力が要る、見てばかりいると疲れてしまう。時々ボーッとして労せずして見える世界に休まなければならなりません。見る対象は生きてこちらに迫って来るが、見える物は眠っている。
見るためには眼を向けるだけで充分であるといったような考え方はあまりにもナイーブすぎます。見えると見るは違います。後者には見ようという意志が働いているが前者にはない。見ることはだれもが日常的におこなっているから、見るとは何かなどとかいったことを改まって考えることは稀である。「見」という漢字は目の下に心がある、すなわち見る者(目と心)があって見られる物がある。だが、それだけのことではありません。何が何を、どういう必要があって見るかという視点があって始めて、見るということが成立します。見るは他動詞で目的語すなわち「何を」が必要です。何が(誰が)何を見るか。ボーとして見ているのは見るではなく眺める。見るとはどこかたとえば眼だけで見るのではなく、視覚だけが独立してあるのではありません。
見るとは何を見ることでしょうか。順不動に挙げると1.たまたま目の前にある物をみる、眺める。2.なにかをする必要から見る、物を探して周囲を見廻す、歩くために前方を見る、食べるために食卓に在るものを見る、など。3.よく知る、鑑賞するために絵画、草花、風景などをみる。4.本を読む、TVを見る。5.人相を見る。良いやつである、何事かを為しそうな面構えだ。6.他の感覚の所在を確かめる、音が聴こえてきた方を見る、匂いのする方をみる、触ったものを確かめる。こうしてみると、なにかを始めるとき最初に来るのはいつも見ることである。見るとは知るでもあり、分かるでもある。
以上の他に、7.として具体的に在るものの他に形や色のない、いわゆる非物も人は見る。人間は形あるものだけを見るのではありません。形あるものの奥に控えていて、それらを動かしている力というものがある。人が一生懸命働いて定年を迎えるころにはその人にだけ「見える」ものがあるようになります。見るには意識が働いていて、見えるには意識の関与がないと言いましたが、見る能力を鍛えて行くと自ずから「見えてくる」もの、物事の本当の関係、人の行動の裏が見えるようになります。見えるには辞書によると自然に目に映るの他に、見る能力があるという意味があり、猫は夜でも物が見えるなどと言う。立派な人には目を閉じていても見えるものがある。

 
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