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健康百話

2015-04-01
健康百話(13)老人論―老人とは
長廻 紘

  老人には二種類あり、ひとつはある年齢たとえば70才(あるいは75才)以上の人、他は自分を老人と思っている人。この二つは多くの場合に一致するが、そうでもないこともある。たとえば70才以上でも老人と思わない人、70才以下でも老人と思う人など。乗物で席を、譲られ坐る人坐らない人、譲る人譲らない人。肉体的には老人であるのは疑いようのない所だから、まだまだと思っての無理は禁物。しかし、精神的には老け込んで引っ込み思案になってはこれまた良くありません。老人の冷や水などと言う恫喝に屈してはならないでしょう。
70以上の人は、自分のことを老人と思うと同時に老人でないと思うという二つの立場を使い分ける方がよいと思います。「青春とは年令ではなく、考え方である(青年と思っている人はいつまでも若い、という能天気な思想)」という有名な言葉があるが、年令無関係説は青春ではなく老年にこそ当てはまる。「老年とは年令ではなく云々」。すなわち老人とは老人と思うか否かで決まる。年をとることを厭うのは、青年はよくて老年は良くないという考えが底にある。基本的に間違っている。そんなことを考えているから、必ず来る死を見ないようにする。青年も老年も人生の一時期にすぎず、良いとか悪いとか言った類のことではない。人間は生まれ年をとってやがて死んでゆくものである。ない物を欲するのは人間の性(さが)ではあるが褒めたことではない。
まあそんなことはどうでもよくて、ここでは老人における健康について考えて見る。老人において基本的なことは、体力が若いころより落ちている。落ちるのは仕方ないことであるが、それを知らない、知りたくなくて無視するのはよくない。必ずしっぺ返しがある。転びやすく、転べば骨が折れる。
少し自分のことについて述べさせてもらいます。現在73才ですが、昨年までは何処と言って不自由なところはなく、この調子では100才まで生きるぞと思っていました。ところが例年のごとくサンチャゴ巡礼にフランスのマルセイユから歩き出しました。エクス、アルビヨンやアルルなどの観光を終えサン・ジルから歩きはじめました。そうしたら三日目に、風邪をひいていた所為もあるが、身体がだるい上にいつまでこんなことをやっているのだと、なんとなくいやになった。精神的にも肉体的にもそうなる運命にあったのだろう。前年までならナニコンナコトと、頑張っているうちに元気が出て歩行を続けることができた。それができなくなっていたのである。これは老年症候群とすぐわかり無理はせずに中断して引き上げた。
色々考えるうちに、そういえばあれも駄目になっている、これも前ほどではなくなっているという事例が次々と念頭に上ってきた。些細なことは見過ごされやすいが大きなことで一挙に全体像が見えてきた。大事に至る前に気づかされたのは不幸中の幸いと自分を慰めている。老人になった、とはそれまでできていたことが是という理由もなく、頑張ってどうという次元を越えて、できなくなることでないでしょうか。そこでどう考えるかは老人道の基本と思います。

 
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