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健康百話

2015-03-13
健康百話(11)照顧脚下――足無き人は幽霊
長廻 紘

 満ち足りていることを満足しているという。なぜ手ではなく足を「たる」に充てるのか。手こそ人間の人間たるゆえんではないのか。足が万全なら何事にも対処できるからであろう。足は人間の身体のうちでもっとも重力の影響を蒙るところである。四足動物では4本の足で支えていたものを人間は半分の2本で支えなければならない。頭と手が自由になったのは足のお蔭であることを忘れないで、足に感謝するのがまともな人間である。それだから知足という。身のほどをわきまえることが知足。「知足者富。足ることを知る者は富めり(『老子』33章)」。知足、満足、不足などは足の重要性を示す言葉である。知足は足(た)るを知るという意味で使われるが、本当は足(の重要性)を知るだと思う。武道や舞踏の頂点を極めた人は全体の重心が下にあり、どんなに動きまわっても足元がふらつかない。
足が地についていないとは、その人間の全体がなっていないことを意味する。足がしっかりしていれば大抵のことには耐えられる。不足は足りないではなく、足がないことで不完全・不十分そして不能(脳)につながる。足と脳の密接な関係は夙に知られている。足が、さらに言えば踵が、地に着いていなければならない。近現代人はそのこと、身体の大地性、に背いてきた。脳が大きくなる、逆に足腰がよわる方向へ向かった。一旦おかしくなると足に止まらず、まず関係の深い腰に連鎖反応が引き起こされる。腰抜け。足腰がおかしくなると、下半身にいわば寄生している上半身も含め、全身がガタガタと崩れてくる。だから、足無き人間を幽霊という。大きな頭に弱い足がぶらさがって上方へ引っ張られ、人は気球のように行方定めず浮遊している。足が地から離れた浮遊物体。
血液は心臓から足へは楽に行くが、足から心臓へは重力に逆らう方向だから並大抵ではない。足の筋肉が弱ってくると、下半身に行った血液を重力に反して心臓へ還す力が衰え、血液が足に滞りやすくなる。その血液は汚れた静脈血であり、身体にとって良くはない。
足元に気をつけよ、照顧脚下。頭に血が上っている人を戒める言葉である。外ばかり見ていないで自分の足元を、自分をよく見つめなさい。とんでもない事態が進行中かもしれませんよ。「平日非日常ともに、心丹田にあるときは万事に怖れ迷うことなく、決断臨機応変の自由をなす者なり。すなわち田畑より五穀に出るごとく、丹田より万事を生じ出だすゆえ丹田という(直心影流の奥義)」。
足は医学的にも重要である。その分野の診断・治療をカイロポディ(chiropody、足治療)といい、従事する医師をカイロポディストという。足部、下腿部に起こる疾患に対して総括的に診療行為を行う。アメリカでとくに盛んであり専門学校もできていて、専門医が14000人もいるという。日本でもあるかもしれないがあまり聞かない。
足元ばかり用心して先へ進もうとしないのも照顧脚下に反する。足元を固めるのは前進のため。「温和主義を主張し、実務に着目し、利害の念に鋭く、脚下に注意する者は、彼は老物であってすでに廃棄物である(内村鑑三)」。

 
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