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健康百話

2015-03-13
健康百話(10)転ぶ 3.心の転倒
長廻 紘

 身体ばかりではなく心も転ぶ。これは年令とあまり関係ない。江戸時代にキリスト教徒(切支丹)が棄教、改宗することをコロブと言い、転んだ者を転び切支丹といった。芸者などが隠れて売春すること、主義者が主義をかえる(転向)ことなども転ぶといった。なに不自由なく歩いていたそれまでの環境から外れるからそういうのであろう。なにごとも大げさに考えない現今である、たとえば高校生までが売春しても誰も怪しまない。取り立てて騒ぎ立てないので、身体が倒れること以外では「転ぶ」は死語となった。しかし、転ぶということは、体に限らず深く考えてみる価値はある。身体転倒の前段階として歩行の不安定があるように、心の転びの前段階はいわゆるブレる。寝に着く前に今日の言行、行動について思いを巡らし、何かに思い至ることが片足立ち訓練に相当する。
転び方には二種類ある。自分で転ぶ、他からの圧力で心ならずも転ぶ。自主転倒は普段の心がけが悪い、自分がなに者か分かっていないからであるが、被他転(転ばされる)はどうであろうか。勉強して良い大学へ、良い会社へ入ろうと思っている人が、あるいは煙草をやめて癌から逃れようとしている人が、そういうのは不純な生き方だと誰かに言われて考えを変えることがある。一種の転びである。普通は無視するか転んだふりをしてやり過ごすかであるが、圧力に負けることもある。心内の悪魔のささやきである場合が多い。いずれにしても信念のない人は善い方であれ、悪い方であれ簡単に転ぶ。
前回、身体転倒に対する片足立ち訓練について述べた。心の転倒に対する片足立ちは何であろうか。ブレないようにするにはどうしたら良いのか。急に動くのは心身ともに転倒の因となりうるので、感情が激したときにすぐに行動しないように発言しないように感情をコントロールする。深く息を吸いこみ6秒待って状況を判断してから行動に移る。最近はアンガー・コントロール(AC)という。上記のように、腹式呼吸を6秒続ける。急に立っただけで転ばなくても大腿骨を骨折することがある、怒りに任せた不用意な行動や発言が転びにつながる。手紙を書いてもすぐ出さないで一日おいて読み直して出せと言う教えがある、同じことである。
転んだらまた転ぶのではないかと普通は臆病に、だんだん引っ込み思案になる。前回紹介した母は、転ぶのを恐れるあまりすっかり引っ込み思案になって、ますます動きが悪くなりお決まりの介護施設行となった。そうかと思うと、リハビリに努め転ぶ前より動きが善くなる人もいる。転ぶのも転ばないのも、転んだまましゃがみこんでしまうのもより敏捷になって生き返るのもある。転ぶのは高齢者であるから、その年令になるまでには経験をつんでいて転んだらどうしたら良いかくらいは分かっている筈であるが、それ以上に転んだショックが大きく寝込むようになるのであろう。転んだら起きる。違う人間になって起き上る。転んだら神のお告げと捉え、生き方を変えるのが良い。生き方は簡単に変えられないから生き方というのだろうが、ピンチはチャンス。悲しいかな、ピンチはチャンスと捉える生き方はもはや老人には残っていない。

 
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