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健康百話

2014-08-08
健康百話(3)逆免疫――応無所住 而生其心
長廻 紘

 われわれが生きるとは外(世間)へ打って出ることで、外を迎え撃つ免疫の逆といえます。この世にはいろいろな難敵があります。それらの個々と戦うのは技術的に至難の業です。すべての外敵に個々にあたる、Aにたいしては対A、Bに対しては対B、Cに対しては対Cでは疲れ果ててしまいます。すべての敵に対して同じように対処する免疫機構のように生きることができれば、楽この上もないことになります。確立された自己で、いかなる敵とも対処する。Aには対A、Bには対Bではなく、A、B、・・・すべてに対して確立した自己Xというもので対してゆく。これが第一の立場です。自己が確立していないと大人とは言えないでしょう。自信がないときには次善の第二の立場をとる。
自己を振りかざしては『草枕』の言うように、この世に棹をさせば住みにくい。そこで、自己は確立しているものの第一のようにそれを目立たせない。自己を脱落させて晦まして、打って出ても懲らしめられないのが上手に生きるに通じます。消化管のように中間、やつけすぎずかつやつけられない。「自己をならふといふは、自己をわするゝなり。・・・自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すゝみて自己を修証するはさとりなり(『正法眼蔵』)」。自己を忘れるとは無心になること。心はどこにも止まることなく、必要に応じて出てくる。これは下に書く霊的健康と同じことでしょう。自己が確立していても、それを晦まし、逆免役(自己が確立した生意気な奴と分からせない、すなわちあなたの仲間)で生きて行く。
第三の立場というものもあって、それは世間に飲みこまれ付和雷同してゆく生き方。世間が享受するように私たちは享受し満足する。世間が怒りを見いだすところに私たちも怒りを見いだす。外から操作されている。ハイデガーは存在(本質)忘却といい次のように述べている。人間は事物や他人という世間に埋没し、本来的な自己(自分自身)を見失っている。自己の深みから考え行動するのではなく、世間という他者に飲みこまれ奴隷になって、自らの自由な展開を妨げられている。そこから脱却するためには、己が必然的に死ぬことを自覚することを通じて、現存在(人間個人)は世人への埋没から脱して本来性に立ち返ることができる。世間的自己は決して自己自身を完全には消滅せしめえない。
人間は絶対的に孤独である。誰も代わりに死んではくれない。孤独の状態にあって、いかなるものであれ、大きな(神的な)ものに包まれている(関係している)と感じ、安心の境地に住みうるのを霊的健康といいます。阿弥陀様はいかなる悪人であっても南無阿弥陀仏と名号を唱えるだけで救ってくださる。
自己とはなにか:身体的に自己を規定しているのは免疫系と遺伝子。精神的には、自分を信じることができること。外から来る悪と戦う免疫の働きの基本が自己非自己の識別とすれば、逆免疫的の自己は「わたしはどこからきて、今なにをしている何某である」と堂々と言えること。捉われのない心で他と接すること、すなわち「応無所住 而生其心」ならば「随処作主 立所皆真」。

 
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