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健康百話

2013-07-18
長廻雑記帖(63)人は水
長廻 紘
 タレスは「世界のすべての基になる原理は何か」という問いを発し「それは水である」と答えた。答よりもむしろ問に意味がある。答えは他にいくらでもありうるが「世界の原理は何か」という問いは偉大である。彼が哲学の祖といわれるゆえんである。それはさておき、古代ギリシャ人が遥かに広がるエーゲ海を眺めものを思ったとき、原理とか水に思いを致したのは不思議なことではない。海や川は、ギリシャ人に限らず古来ひとを物思いにふけらせたであろう。 人は川、川は水
パンタ・レイ、万物は流れる
万物は水だ
逝くものはかくの如きか昼夜を舎かず
大も小も海へ
流れている間に軽くなれ
流れている間が生
海の静謐は死
あ、大変 滝だ
「滝は滝になりたくてなったのではない 落ちなければならないことなど 崖っぷちに来るまで知らなかったのだまっさかさまに落ちて落ちて落ちてたたきつけられた奈落に 思いがけない平安が待っていた 新しい旅も用意されていた 岩を縫って川は再びはしりはじめる(島田陽子)」。
人の一生も先に何があるかなど考えないで流れながれてゆくしかない。滝があろうとなかろうと、人は知らない。落ちてしまってから滝であったと気づくに過ぎない。
「あなたは水に越えられない障壁をさだめ、水がふたたび大地を覆うことのないようにした『詩編』104」。
 
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