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健康百話

2013-04-25
長廻雑記帖(59)二度あることは
長廻 紘
 病院にはカタカナ語が氾濫している。使った方がよい場合も多いが気になるのはどうでもよいことにまで外来語とくに英語が使われる。英語がしゃべれないことの裏返しでもなかろうが。日本語にすればよくわかるのに、わけのわからない単語を使う。分からないということは、ある種の人にとって都合がよい。中世ヨーロッパで聖書はラテン語で記されていて、庶民には分からなかった。聖書をつかさどる者として聖職者や教会に権威があり威張ることができた。日本にカタカナ語が入りやすいのはどうもそういうことではないようだ。相手に阿りやすいか単におっちょこちょいなだけであろう。
 お調子者というだけでないとしたら、それは漢字に出会うまで、長いあいだ文字を持たずにきた日本語の宿命である。昔の日本人は、間が抜けてダラダラした大和言葉なるものを使っていた。「はなのいろは うつろいけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに」。漢字が知られると急速に大和言葉は漢字に「いたずら」された。花色徒然遷移了 我身旧態只眺望。多くの大和言葉の名詞や動詞に漢字が当てられた。たとえば「ひがしのみやこ」が「東京」、「やまい、やむひと」には「病、病人」。そうこうするうちに西洋語との接触が起こった。これまた日本語より優れて見えたのか、各種の西洋言語の単語がまず名詞ついでその他の品詞がカタカナ語として取り入れられた。漢語で道筋がつけられているから、二度目は容易。やまい・病はディジーズに、やむものや病人はペイシェントに。
 中国語にいたずらされた既往のある日本語は、次いでまたべつの言語である英語にやられる。あるいはやられ易いからなんどでもやられるのか、それは分からない。日本で仮名というものが思いつかれた。もちろん必要に迫られてではあるが。それで漢字が長く居すわった。そういう妙に器用な点がまたやるほうを勢いづける。朝鮮では仮名のように漢字が定着しやすくなるものの発明が無かったから一気にハングルを創った。地球外から知的生命がやってきたら、他の言語に先駆けてまず日本語からエイリアン語に冒されてゆくのではなかろうか。根拠はないが二度あることは三度あるというから、そう思うだけである。
 言葉というものごとの根本がしっかりしないから、人も国もしっかりしていない。エイリアンは先ず日本人を攻めろ、という情報を得て襲ってくるであろう。最初に手をあげるのは日本人だから。明治期の先覚者は西洋語を必死の努力で翻訳したのは、もはや古い話となった。そのまま使った方が楽だと知ったから、もはや外国語を苦労して翻訳しようとする者はだれもいなくなった。しかし、最近の電子機器の進歩は目を見張るものがあり、多くの言語が簡単に翻訳されてしまうようになった。こんご言葉がどうなるか分からない。
 
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